※明治5年の改暦以前は旧暦を用いています。
12月
日 | 年 | 出来事 | 備考 | 典拠 |
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1日 | 1941(昭和16)年 | 瑞穂公園開園 | 『新修名古屋市史 第10巻』 | |
1日 | 1954(昭和29)年 | 名鉄百貨店開業 | 『東海エリアデータブック 1999』 | |
1日 | 1955(昭和30)年 | 『大正昭和名古屋市史』全10巻完成 | 『新修名古屋市史 第10巻』 | |
1日 | 1956(昭和31)年 | CBCテレビ、午前10時本放送開始 | 『中部日本放送50年のあゆみ』 | |
1日 | 1964(昭和39)年 | 知多郡有松町・大高町を合併 | 『東海エリアデータブック 1999』 | |
1日 | 1971(昭和46)年 | 名古屋駅西口地下街「エスカ」開業 | 『新修名古屋市史 第10巻』 | |
1日 | 1979(昭和54)年 | 東名阪自動車道、蟹江・名古屋西間開通 | 『東海エリアデータブック 1999』 | |
1日 | 2003(平成15)年 | 地上デジタル放送・デジタルデータ放送開始 | 瀬戸デジタルタワーから送信が開始されました。名古屋のデジタルデータ放送は、デジタルチューナーに登録する郵便番号を利用して自治体ごとの情報を提供する仕組みで「名古屋方式」と呼ばれ、他の局でも取り入れられました。 | 『NHK名古屋放送局80年のあゆみ』 |
2日 | 1919(大正8)年 | 八幡山を鶴舞公園に編入 | 『名古屋市政年史』 | |
2日 | 1948(昭和23)年 | 中日球場完成 | 『新修名古屋市史 第10巻』 | |
3日 | 1986(昭和61)年 | 市美術館に展示するモディリアーニ「おさげ髪の少女」を購入 NEW! | 『なごや100年』p.260 | |
4日 | 1971(昭和46)年 | 久屋大通公園に「リバーパーク」完成 | 『新修名古屋市史 第10巻』 | |
5日 | 1920(大正9)年 | 征清第一軍戦死者記念碑、覚王山に移転 | 初めは栄町通り武平町筋のまん中に建てられましたが、この日に覚王山放生池東北の小丘に移築されました。 | 『新修名古屋市史 第10巻』 |
6日 | 1976(昭和51)年 | 名駅地下街の愛称「メイチカ1番街」を「メイチカ」に改称 | 同年11月20日に地下街「テルミナ」が開業、同時にメイチカ1番街も通路を改装し、「メイチカ」に改称しました。 | 『名古屋地下鉄振興株式会社30年史』 |
6日 | 1977(昭和52)年 | 上前津地下街開業 | 文化的な書店の街をつくる計画が構想され、郷土に密着したタウン誌や古書などを置く書店が開業しました。 | 『名古屋地下鉄振興株式会社30年史』 |
7日 | 1984(昭和59)年 | 名古屋市青少年育成市民会議が設立される | 『愛知県史 通史編10』 | |
8日 | 1912(大正元)年 | 市内に初めて公衆電話設置 | 『新修名古屋市史 第10巻』 | |
9日 | 1993(平成5)年 | 彫刻「パルマス」名古屋市に寄贈 | メキシコの彫刻家エンリーケ・カルバハル・セバスティアン氏の作品です。名古屋市とメキシコ市の友好のシンボルとして白川公園内に設置されました。 | 『名古屋・メキシコ姉妹都市提携20周年のあゆみ Hola! 20anos』 |
10日 | 1931(昭和6)年 | 市営電車にて女子車掌配属業務開始 | 『なごや市電整備史』 | |
11日 | 1930(昭和5)年 | 名古屋城(名古屋離宮)、名古屋市に下賜される | 『東海エリアデータブック 1999』 | |
12日 | 1873(明治6)年 | 愛知県養成学校が設立される | 久屋町一丁目(現東区)に設立されました。小学校の教員を対象にした、新しい小学教則を普及するための学校でした。現在の愛知教育大学の前身です。 | 『愛知県史 通史編10』 |
13日 | 1930(昭和5)年 | 名古屋城大天守・小天守・御殿・隅櫓・正門、名古屋市に下賜され国宝に指定の旨公示 | 明治に入ると名古屋城は陸軍の所管となりましたが、その後宮内省所管の名古屋離宮となりました。その後名古屋離宮は名古屋市に下賜されることになり、再び名古屋城と呼ばれるようになりました。 | 『新修名古屋市史 第10巻』・ 『特別史蹟・名古屋城年誌』 |
14日 | 1933(昭和8)年 | 名古屋港観光案内所設置 | 『新修名古屋市史 第10巻』 | |
15日 | 1889(明治22)年 | 市内に初めて電燈点火 | 明治20年名古屋電燈会社が設立されました。現在の電気文化会館(でんきの科学館)のある場所に、火力発電所を建設し、この日400個の灯を送りました。当初は日没から3時間だけの点灯だったので、"3時間灯"と呼ばれました。 | 『名古屋の電気の今昔展』 |
15日 | 1948(昭和23)年 | 万松寺通の舗装工事と街路灯が完成、竣工式が行われる | 午前中に黄花園で竣工式が行われた後、子どもみこしが街を練り歩きました。 | 『大須レトロ』 |
15日 | 1976(昭和51)年 | 名古屋仏壇伝統的工芸品に指定 | 『新修名古屋市史 第10巻』 | |
16日 | 1936(昭和11)年 | 名古屋観光ホテル開業 | 『新修名古屋市史 第10巻』 | |
16日 | 1963(昭和38)年 | NHK名古屋放送局、テレビのカラー放送開始 | 『NHK名古屋放送局80年のあゆみ』 | |
17日 | 1889(明治22)年 | 初代名古屋市長に中村修就任 | 『新修名古屋市史 第10巻』 | |
17日 | 1909(明治42)年 | 精進川(新堀川)下流に入船許可 | 『堀川 歴史と文化の探索』 | |
17日 | 1912(大正元)年 | 東郊耕地整理組合設立認可 | 『千種区史』 | |
18日 | 1893(明治26)年 | 名古屋株式取引所が設立される | 南伊勢町(現中区)に設立されました。設立時から長年理事長を務めたのは、「名古屋の渋沢栄一」と呼ばれた奥田正香でした。 | 『愛知県史 通史編10』 |
18日 | 2019(令和元)年 | タシケント市(ウズベキスタン共和国)とパートナー都市協定を締結 | 名古屋市ホームページ「タシケント市(ウズベキスタン共和国)との交流」(外部リンク・最終確認日:2020年12月2日) | |
19日 | 1968(昭和43)年 | 名古屋港金城ふ頭コンテナ基地にコンテナ船が初入港 | 『愛知県史 通史編10』 | |
20日 | 1932(昭和7)年 | 中川運河全通 | 名古屋港の開港により、物資の流通量が増え、堀川・新堀川では応じきれなくなったので、建設が計画されました。中川運河の前身は中川という自然河川でした。 | 『名古屋港史 建設編』 |
20日 | 1938(昭和13)年 | 春日井建(名古屋暮らし・歌人)の誕生日 | 12歳のとき名古屋に転居。向陽高校在学中には仲間とともに文芸誌「裸樹」を創刊しました。デビュー作『未成年』では三島由紀夫が序文を書いています。ほかの作品に『行け帰ることなく』『友の書』『井泉』など。 | 『春日井建の世界 <未青年>の領分』 |
21日 | 1940(昭和15)年 | 名古屋市会議員団結成 | 『新修名古屋市史 第10巻』 | |
21日 | 1978(昭和53)年 | 南京市と友好都市提携 | 『なごや市制110周年』 | |
22日 | 1926(大正15)年 | 元古井公設市場開設。店舗数30 | 『千種区史』 | |
23日 | 1970(昭和45)年 | 市中津川野外教育センター開設 | 小学生たちに"新鮮な空気と水の味"をしっかり味わう生活を体験させようという考えをもとに、昭和40年以来中津川の野外教育が行われていました。この日に、念願のセンターが開設されました。小学5年生を対象にし行われています。 | 『小学校野外教育の手びき』 |
24日 | 1956(昭和31)年 | 町村合併による都市計画区域の拡大(279キロ平方メートル) | 『新修名古屋市史 第10巻』 | |
25日 | 1895(明治28)年 | 金子光晴(名古屋育ち・詩人)の誕生日 | 幼いころに一家で名古屋に移り住み、そこで金子家の養子となりました。『こがね蟲』で詩壇に華々しくデビュー。『金子光晴全集』ほか著書多数。 | 『評伝金子光晴』 |
25日 | 1916(大正5)年 | 『名古屋市史』完結、6編全10冊 | 『新修名古屋市史 第10巻』 | |
25日 | 1958(昭和33)年 | 東海テレビ、午前11時15分本放送開始 | 『東海テレビ放送開局50年史』 | |
26日 | 1966(昭和41)年 | 横断歩道橋第1号完工 | 熱田神宮前・鶴舞交差点の二つの歩道橋が完成し、午前11時すぎから渡りぞめ式が行われました。そして、正午から使用が始まりました。 | 中日新聞1966年12月27日朝刊 |
27日 | 1929(昭和4)年 | 桶狭間ラジオ放送所開局 | 通称オケバと呼ばれ、昭和58年12月22日に役目を終えるまで、電波を送り続けました。 | 『NHK名古屋放送局80年のあゆみ』 |
28日 | 1894(明治27)年 | 名古屋雑穀取引所が設立される | 塩町(現西区)に設立されました。 | 『愛知県史 通史編10』 |
29日 | 1612(慶長17)年 | 金鯱を天守の棟に上げ、名古屋城天守が完成する | 『愛知県史 通史編10』 | |
30日 | 1270(文永7)年 | 尾張員継(かねつぐ)が熱田神宮の踏歌祭頌文を書写する | 踏歌祭頌文とは、踏歌神事(一年の始まりに五穀豊穣を祈る神事)にて祝詞師が神前で読み上げる文のこと。尾張員継は祝詞師としてこの頌文を書写したと思われます。 | 『愛知県史 通史編2』 |
31日 | 1897(明治30)年 | 岡戸武平(名古屋暮らし・小説家)の誕生日 | 名古屋新聞の社員、小説家・小酒井不木の助手などを経て、作家に。著書に『小泉八雲』『伝統と気鋭 東海銀行の歩んだ道』『高い塔から名古屋を見れば』など。名古屋には太平洋戦争末期に疎開したことを機に定住しました。 | 『作家・小説家人名事典 新訂』 |