※明治5年の改暦以前は旧暦を用いています。
1月
日 | 年 | 出来事 | 備考 | 典拠 |
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1日 | 1610(慶長15)年 | 名古屋市マスコットキャラクター"はち丸"誕生日 | 『特別住民票 はち丸』 | |
1日 | 1920(大正9)年 | 名古屋市に都市計画法適用、都市計画名古屋地方委員会設置 | 『新修名古屋市史 第10巻』 | |
1日 | 1930(昭和5)年 | 中村公園大鳥居完成 | 中村地方が名古屋市へ合併した記念に建設されました。大鳥居ではなく、記念碑や牡丹園にする計画もありました。起工は昭和4年6月17日。昭和45年には再塗装されました。 | 『中村公園』 |
1日 | 1965(昭和40)年 | 『中部日本新聞』から『中日新聞』に改称 | 『東海エリアデータブック 1999』 | |
1日 | 1996(平成8)年 | 名古屋グランパス、天皇杯で優勝。チーム初のタイトル獲得となる | 『名古屋グランパス20年史』 | |
2日 | 1911(明治44)年 | いとう呉服店、百貨店初の福袋「多可良函」を発売 | 1個50銭で1日500個販売しました。開店前から長蛇の列ができ、あまりの混雑に、1913年の第3回で中止になりました。 | 『松坂屋百年史』 |
3日 | 1949(昭和24)年 | 名古屋スタヂアム開場 | 『東海エリアデータブック 1999』 | |
4日 | 1937(昭和12)年 | 名古屋城天守閣の金鯱のウロコ盗難事件 | 『新修名古屋市史 第10巻』 | |
5日 | 1784(天明4)年 | 明倫堂で学生募集 | 明倫堂はこの前年(天明3年)に開校した藩校です。藩主宗睦は家臣に対して、明倫堂の学生になりたい者は総裁に申し出るよう命令を出しました。 | 『名古屋叢書三編 第2巻』 |
5日 | 1928(昭和3)年 | 岡井隆(名古屋生まれ・歌人)の誕生日 | 『岡井隆全歌集』など著作多数。 | 『新潮日本文学辞典』 |
6日 | 1916(大正5)年 | 千種監獄焼失 | 『千種区史』 | |
7日 | 1925(大正14)年 | 名古屋放送局(JOCK)が設立される(7.15放送開始) | 『愛知県史 通史編10』 | |
8日 | 1973(昭和48)年 | 名古屋市公害防止条例が公布される | 『愛知県史 通史編10』 | |
8日 | 1983(昭和58)年 | 名古屋市内初のコミュニティセンター(港区大手学区)が開設される | 『愛知県史 通史編10』 | |
9日 | 1711(宝永8)年 | 五代藩主徳川五郎太誕生日 | 正徳三年(1713年)8月29日に、数え年三歳で家督を継ぎましたが、わずか二ヵ月に満たずに夭折しました。 | 『尾張の殿様物語』 |
9日 | 1873(明治6)年 | 名古屋城に名古屋鎮台設置 | 『名古屋市政年史』 | |
10日 | 1925(大正14)年 | 名古屋放送局設立 | 『新修名古屋市史 第10巻』 | |
10日 | 1936(昭和11)年 | 名古屋野球倶楽部、職業野球団名古屋金鯱軍を編成 | 『新修名古屋市史 第10巻』 | |
11日 | 1924(大正13)年 | 名古屋で東京大相撲春場所 | 前年の関東大震災で両国国技館が大きな被害を受けたため、急遽名古屋で開催されることとなりました。10日間行われた興行は初日早々から満員の盛況でした。優勝は栃木山。 | 『熱き男たちの系譜』 |
12日 | 1739(元文4)年 | 徳川宗春、蟄居 | 宗春の政策は享保の改革の趣旨に反するものでした。宗春はこの日、時の将軍吉宗より、尾張藩の藩政が乱れ人々が困窮したという理由で蟄居を申し渡されます。 | 『名古屋400年のあゆみ』 |
13日 | 1914(大正3)年 | キネトフォーン(音声の出る活動写真)が御園座で公開される | この日から4日間、歌劇「カルメン」や喜劇「政治家」などの外国語のものと、日本語での「発生活動写真について」を上映しました。 | 『御園座百年史』 |
13日 | 1945(昭和20)年 | 戦争による影響で東山動物園の一般観覧停止 | 『東山動植物園とともに歩んだ60年』 | |
14日 | 1660(万治3)年 | 万治の大火 | 名古屋の歴史上最大の火事。本町から出火し、城下町の東半分を焼失しました。この火事をきっかけに、防火帯として堀切筋の道幅を十五間(約27.3メートル)に拡張した道路「広小路」を設けることになりました。 | 『名古屋消防史』 |
15日 | 1911(明治44)年 | 愛知県商品陳列館開館 | 『新修名古屋市史 第10巻』 | |
15日 | 1936(昭和11)年 | 大日本野球連盟名古屋協会、職業野球団名古屋軍を編成 | 現・中日ドラゴンズの前身である「名古屋軍」が誕生。1936年は日本で始めてプロ野球がスタートした記念の年です。当時は7球団で、名古屋にはもう一つの球団「名古屋金鯱軍」がありました。 | 『中日ドラゴンズ70年史』 |
16日 | 1951(昭和26)年 | 無軌条電車(トロリーバス)東大曽根~今池間廃止 NEW! | 京都に次いで2番目、昭和18年に登場した無軌条電車(トロリーバス)は東大曽根~桜山町間を運転していましたが、この日7年半にわたる短い歴史を閉じました。 | [名古屋]市営五十年史p.23 |
17日 | 1943(昭和18)年 | 名古屋市電の特急運転開始 | 『新修名古屋市史 第10巻』 | |
18日 | 尾張四観音恵方参 | 江戸時代の名古屋では、尾張四観音(荒古観音、甚目寺観音、龍泉寺観音、笠寺観音)のうち、その年の恵方にあたる観音を詣でる風習がありました。 | 『名古屋叢書三編 第5巻解読編』 | |
18日 | 1935(昭和10)年 | 東山公園、名称決定 | 『東山動植物園とともに歩んだ60年』 | |
19日 | 1889(明治22)年 | 大雪、名古屋で積雪10cm | 『新修名古屋市史 第10巻』 | |
20日 | 1868(明治元年)年 | 藩主義勝が佐幕派の藩士らの斬首を決定 | 青松葉事件と呼ばれています。 | 『名古屋市史 [第2]』 |
21日 | 1943(昭和18)年 | 子供の科学展開催 | 『新修名古屋市史 第10巻』 | |
22日 | 1913(大正2)年 | 大須旭遊廓火災 | 大須観音北側にあった旭廓で大火が起こり、70戸(その多くは遊廓)を焼失しました。この火災で一面焼け野原となった状況が絵葉書となっています。 | 『名古屋市博物館収蔵絵葉書図版目録』 |
22日 | 1929(昭和4)年 | 名古屋材木商組合、市に鶴々亭を寄付 | 木曽檜材の最高級品を使用した数寄屋建築で、現在も鶴舞公園内にあります。 | 『名古屋市会史 別巻[第3]』 |
22日 | 2004(平成16)年 | 名古屋港がポート・オブ・ザ・イヤー2003を初受賞 | 『名古屋港開港100年史』 | |
23日 | 1907(明治40)年 | 県立第五中学校の4月の開校が認可される | 県立第五中学校は現在の瑞陵高等学校にあたります。 | 『愛知県史 通史編10』 |
24日 | 1937(昭和12)年 | 鶴舞公園から東山動物園へ動物の移送が始まる | 約10kmの道のりを2ヶ月かけ26回にわたって運びました。ゾウは歩かせて移そうとしましたが、従わなかったため、特製のオリに10個の車輪をつけて牽引しました。最終の移動は4月6日でした。 | 『東山動植物園とともに歩んだ60年』 |
24日 | 1972(昭和47)年 | 横井庄一氏、グアム島で発見される | 『名古屋400年のあゆみ』 | |
25日 | 1908(明治41)年 | 名古屋初の映画館、文明館が開館 | 『新聞に見る初期日本映画史』 | |
26日 | 2007(平成19)年 | 名古屋ルーセントタワー開業 | 『名古屋の地下鉄メモリアル50』 | |
27日 | 1941(昭和16)年 | 瑞穂区の大曲輪貝塚が史蹟となる | 発見は昭和14(1939)年。縄文時代前期の貝塚を中心とする遺跡です。 | 『愛知県史 通史編10』・ 『名古屋の史跡と文化財』 |
28日 | 1925(大正14)年 | 東区千種町殿里公に大日本麦酒株式会社名古屋工場竣工 | 『千種区史』 | |
29日 | 1951(昭和26)年 | 名古屋でパトカーの巡回が始まる | トラックを改造したパトカー2台が巡回しました。 | 『中日新聞三十年史』 |
29日 | 1954(昭和29)年 | 地下鉄ボーリング調査開始 | 『名古屋地下鉄振興株式会社30年史』 | |
29日 | 1981(昭和57)年 | 自動車電話サービス開始 | 自動車に電話を設置し、移動しながら通話できるようにしたサービスのことです。東京、大阪に次いで全国で3番目に開始されました。携帯電話のない時代、「走るオフィス」はビジネスマンを中心に大変人気だったそうです。 | 『東海の電信電話 第3巻』・ 『中部財界 1982年4月15日号』 |
30日 | 1953(昭和28)年 | 大須球場閉鎖 | 昭和22年、戦後の再興の一環として西別院境内に大須球場が誕生しました。東海地方の野球ファンに親しまれましたが、経済的な行き詰まりを理由に惜しまれながらも閉鎖されました。 | 『なごや100年』p.223・ 『大須レトロ』p.115 |
31日 | 1665(寛文5)年 | 寺社奉行を置く | キリシタン禁制発令当初の尾張藩ではキリシタンの検挙に対して消極的でしたが、幕府の介入によってしだいに取り締まりが厳しくなっていき、最終的には全国的にみても大規模な検挙を実施するようになりました。寺社奉行は幕府だけでなく尾張藩でも重要視される職制で、寺社支配とキリシタン禁制の指揮権を預かっていました。 | 『新修名古屋市史 第3巻』・ 『名古屋叢書三編 第3巻』 |