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書誌情報サマリ

書名

教養としての「死」を考える (新書y)

著者名 鷲田清一/著
出版者 洋泉社
出版年月 2004.04
請求記号 114/00055/


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No. 所蔵館 資料番号 資料種別 配架場所 別置 帯出 状態
1 鶴舞2531154959一般和書2階書庫 在庫 

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書誌詳細

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請求記号 114/00055/
書名 教養としての「死」を考える (新書y)
著者名 鷲田清一/著
出版者 洋泉社
出版年月 2004.04
ページ数 222p
大きさ 18cm
シリーズ名 新書y
シリーズ巻次 108
ISBN 4-89691-808-8
分類 1142
一般件名 生と死
書誌種別 一般和書
タイトルコード 1009914004894

要旨 ひとはいつ生まれ、いつ死ぬのか?問われるべきはこれだ。親が自分の子だと意識したときに生まれ、その人を知っている人がいなくなったとき死ぬのだ、となぜ単純に考えられないのか。ヒューマニズムを擬装する近代科学、そして「生命科学」や「生命倫理」―。その法学的でミクロな視線に偏った「死」をめぐる論議のなかで、私たちは、大切な「他者」を見失っている!「死」もまた巧みに隠され続ける現代にあって、「生」と「死」のあわいで、「死」もまたコミュニケーションであることを主張し、人間存在の意味を問い続ける哲学者・鷲田清一の達成点を見よ。
目次 第1章 死が、社会のものではなくなった
第2章 死のおぞましさと現代の社会
第3章 死と「私」の哲学
第4章 死の実相を探る
第5章 人称態という死の区分けは正しいか
終章 死は依然として隠されている
著者情報 鷲田 清一
 1949年京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、大阪大学大学院文学研究科教授。専門は哲学・倫理学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


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