蔵書情報
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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料番号 |
資料種別 |
配架場所 |
別置 |
帯出 |
状態 |
1 |
鶴舞 | 4330944721 | 一般和書 | 2階書庫 | | | 在庫 |
関連資料
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書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
請求記号 |
933/09914/1 |
書名 |
侵入社員 上 (新潮文庫) |
著者名 |
ジョゼフ・フィンダー/[著]
石田善彦/訳
|
出版者 |
新潮社
|
出版年月 |
2005.12 |
ページ数 |
371p |
大きさ |
16cm |
シリーズ名 |
新潮文庫 |
ISBN |
4-10-216413-8 |
原書名 |
Paranoia |
分類 |
9337
|
書誌種別 |
一般和書 |
タイトルコード |
1009915060621 |
要旨 |
鎌倉の辰巳邸で開かれているスープ教室は、二〇一六年一月で二〇周年を迎えた。入会希望者は年々増え続け、いまでは入会まで一〇年を待つ生徒も珍しくない。そこでは四季折々の素材を使ったスープのつくり方はもちろん、卒寿を超えた辰巳芳子が自らの経験から培った食、家族、自然、社会環境との向き合い方、人生哲学が熱く語られる。この本は、そこで語られたすべてのことばを丁寧に記録した辰巳初の講義録。さながら教室にいるようにスープのつくり方とともに、人としての“生きていきやすさ”のすべてがわかる。 |
目次 |
二〇一四年四月一二日「あなた方はお帰りなさいというときにどういうふうにしているの」 二〇一四年五月一〇日「硬いひよこ豆に心底閉口したから新大陸行きを奨励したのじゃないかと思うくらいよ」 二〇一四年六月一四日「わたしはこんなにおっかない人だけれどちょっとだけやさしいのよ」 二〇一四年七月一二日「それを聞いて母は涙をこぼしたの世界中、母親の考えることは同じかしらって」 二〇一四年一〇月一一日「庭に山椒があってその若芽から小さな実まで使っていけるなんて日本人なればこそ」 二〇一四年一一月八日「半端な色の擂り鉢で半端じゃない仕事をやらされるこれは大いなる日常の矛盾ですよ」 二〇一四年一二月一三日「他人が省みようとしないものにも宝物はいっぱいあるものだ」 二〇一五年三月一四日「怒っているあいだにじゃがいもと米が難らかくなりましたね」 二〇一五年五月九日「想像力でカスタネットの音を頭のなかで響かせながらつるのよ」 二〇一五年六月一三日「ミケランジェロは一体何を食べ何が彼の力になったのかを確かめに行ったの」 二〇一五年一〇月一〇日「真心にも込め方がある 真心の表現の仕方があるということなのだけれど」 二〇一五年七月一一日「日本がそういう国だったことを忘れないで 忘れるなよっていっているの」 二〇一四年三月八日の課題 基本のスープ ポタージュ・ボン・ファムのつくり方 |
著者情報 |
辰巳 芳子 1924年、東京都生まれ。料理家・随筆家。聖心女子学院卒業後、料理研究家の草分け的存在であった母・辰巳浜子のもとで家庭料理を学ぶ。父の介護経験からスープに着目し、鎌倉市の自宅などで「スープの会」を主宰。メディアを通じて料理を紹介する一方、東西の食文化の歴史、地球環境にも関心を抱き、食の大切さについて積極的に発信している。NPO法人「良い食材を伝える会」会長、「大豆100粒運動を支える会」会長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
内容細目表:
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