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調査内容
むかし、堀川のそばをトロッコが走っていたと聞いたけど本当でしょうか?また、何を運ぶためのものだったのでしょうか?
調査手順
まず、市史や県史で堀川の歴史を調べます。堀川は江戸時代に開削され、運河として城下町の建設や商工業流通の発展に大きく貢献しました。白鳥(熱田区)に江戸時代から続く貯木場があったことから、沿岸では木材産業が発達します。河岸は木材の集積場となり、それにつれて製材工場が立ち並びました。集積した原木はクレーンで川から引揚げられ、工場で木材へと加工されました。そこで水揚げされた原木を岸から工場まで運ぶのに用いられたのがトロッコでした。
次に『堀川 歴史と文化の探索』を読むと、木材産業最盛期の様子が紹介されていました。それによると、「堀川の川面は中央部を残してびっしりと筏が浮かび、林立するクレーンは水のしたたる太い木材を陸揚げしていた」とあり、堀川における木材産業の活気がうかがえます。
製材工場のトロッコ自体をとりあげた資料として『失われた「狭い線路」の記録集 究極のナローゲージ鉄道 2』がありました。資料中の略図によれば、1985年の段階では白鳥橋(熱田区)から幅下橋(西区)の間の34地点でトロッコの軌道跡が見られたようです。
今回、実際に堀川沿岸の何地点かを歩いてみたところ、正木町(中区)にて軌道跡の現存を確認できました。また、堀川同様に製材工場が立ち並んでいたという新堀川の沿岸も歩いてみたところ、向田橋(中区)そばの1地点に軌道跡を確認できました。
調査結果
堀川周辺を走っていたトロッコは、かつての名古屋の木材産業の隆盛を象徴する、原木の運搬用のトロッコでした。
今回の調査で使った資料
- 『新修名古屋市史 第9巻 民俗編』新修名古屋市史編集委員会/編 名古屋市 2001
- 『新修名古屋市史 第6巻』新修名古屋市史編集委員会/編 名古屋市 2000
- 『愛知県史 別編[7] 建造物・史蹟』愛知県史編さん委員会/編 愛知県 2006
- 『堀川 歴史と文化の探索』伊藤正博/著 沢井鈴一/著 あるむ 2014
- 『失われた「狭い線路」の記録集 究極のナローゲージ鉄道 2』岡本憲之/著 講談社 2015