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調べ物案内

調査団報告書No.63

調査内容

北海道の土産物「木彫り熊」のルーツが名古屋というのは本当ですか。

調査手順

『日本の伝統産業 物産編』によると、「木彫り熊」は当初「八雲熊彫り」といわれ、大正十三年(1923)、山越郡八雲町(やくもちょう)の徳川農場主・徳川(とくがわ)義(よし)親(ちか)氏がスイスから持ち帰った木彫り熊をモデルに作らせたのが発祥と記載があります。
それでは北海道の八雲町は名古屋とどういった関係があるのでしょう。『八雲町史』によると明治11年(1878)に旧尾張藩主徳川(とくがわ)慶(よし)勝(かつ)による営農移民により創基されたのが八雲村(現北海道二海郡(ふたみぐん)八雲町)であり、のちに尾張徳川家が経営する徳川農場が作られ、農地改良や酪農への転換などを先導したといった記載があります。
慶勝の後継者にあたる義親は"農村美術"にたいへん関心を持っており、開墾農村における冬季の経済改善、「生活趣味」の改善を目的として、美術工芸作品を副業とすることを推奨したとされています。(『熊彫 義親さんと木彫りの熊』)

調査結果

解決スタンプ

北海道八雲町の「木彫り熊」は尾張徳川家第十九代当主徳川義親がスイスから持ち帰った工芸作品をモチーフとして作られたようです。
ただし北海道旭川でも木彫り熊は製作されています。こちらについては元々アイヌの人々により木工細工が製作されていましたが、徳川農場の木彫り熊に倣い、熊の彫り物も製作されるようになったという説(『旭川・アイヌ民族の近現代史』)・旭川の熊彫は八雲以前にアイヌの人々によってつくられて売られていたもので八雲とは別の系統であるという説(『木彫家藤戸竹喜の世界』)があります。

今回の調査で使った資料

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