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調査内容
北海道の土産物「木彫り熊」のルーツが名古屋というのは本当ですか。
調査手順
『日本の伝統産業 物産編』によると、「木彫り熊」は当初「八雲熊彫り」といわれ、大正十三年(1923)、山越郡八雲町(やくもちょう)の徳川農場主・徳川義親(とくがわよしちか)氏がスイスから持ち帰った木彫り熊をモデルに作らせたのが発祥と記載があります。
それでは北海道の八雲町は名古屋とどういった関係があるのでしょう。『八雲町史』によると明治11年(1878)に旧尾張藩主徳川慶勝(とくがわよしかつ)による営農移民により創基されたのが八雲村(現北海道二海郡(ふたみぐん)八雲町)であり、のちに尾張徳川家が経営する徳川農場が作られ、農地改良や酪農への転換などを先導したといった記載があります。
慶勝の後継者にあたる義親は"農村美術"にたいへん関心を持っており、開墾農村における冬季の経済改善、「生活趣味」の改善を目的として、美術工芸作品を副業とすることを推奨したとされています。(『熊彫 義親さんと木彫りの熊』)
調査結果
北海道八雲町の「木彫り熊」は尾張徳川家第十九代当主徳川義親がスイスから持ち帰った工芸作品をモチーフとして作られたようです。
ただし北海道旭川でも木彫り熊は製作されています。こちらについては元々アイヌの人々により木工細工が製作されていましたが、徳川農場の木彫り熊に倣い、熊の彫り物も製作されるようになったという説(『旭川・アイヌ民族の近現代史』)・旭川の熊彫は八雲以前にアイヌの人々によってつくられて売られていたもので八雲とは別の系統であるという説(『木彫家藤戸竹喜の世界』)があります。
今回の調査で使った資料
- 『日本の伝統産業 物産編』日本伝統産業研究所/企画編集 通産企画調査会 1978
- 『伝統工芸の創生 北海道八雲町の「熊彫」と徳川義親』大石勇/著 吉川弘文館 1994
- 『三訂 八雲町史 上巻』八雲町 2013
- 『熊彫 義親さんと木彫りの熊』上原敏/編集 凹プレス 2017
- 『旭川・アイヌ民族の近現代史』金倉義慧/著 高文研 2006
- 『木彫家藤戸竹喜の世界』藤戸竹喜/作 アイヌ文化振興・研究推進機構 2017
- ※本調査の記述にあたって、八雲町郷土資料館・木彫り熊資料館のご協力をいただきました。