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調査内容
甲子園野球、第一回は名古屋であったとか...?どこが会場だったのでしょう?
調査手順
『新修名古屋市史 第6巻』には「(大正)一三年には大阪毎日新聞社主催の全国選抜中等学校野球大会がはじまるが、その第一回の幕は名古屋の八事球場で切って落とされている」とあり、『昭和区の歴史』には「「春の甲子園」で知られ(中略)たセンバツだが、大正十三年(一九二四)の第一回大会(中略)だけ、この八事球場で開かれている」とある。夏の甲子園についても調べてみる。『熱球譜 甲子園全試合スコアデータブック』を確認すると、第一回大会は大正4(1915)年8月に豊中球場で行われた、とあるので、名古屋で開催された第一回というのはセンバツを指していたのがわかる。開催地は「名古屋市郊外の八事の山本球場」とあるが、会場は八事球場なのか、山本球場なのか、どちらなんだ?『愛知の高校野球 全記録』によると、「大須の運動具店山本権十郎氏が八事丘陵地の一角を購入。(中略)彼個人の名を使い「山本球場」とした。(中略)昭和22年(1947)から社会人野球チーム、国鉄名古屋鉄道局の本拠地となり、「国鉄八事球場」と呼ばれるようになった」ということだ。
名古屋会場となった経緯についても記述があった。先ほどの『熱球譜』では、「当初の計画では各地に会場を移して開催する計画で、とりあえず第1回は野球の盛んな名古屋に地が選ばれ」たとあり、『選抜高等学校野球大会60年史』には、「第一回大会は当初地元大阪開催も検討されたが、大阪朝日の手前、いきなりぶつけるわけにはいかない。また(中略)大阪毎日の発行部数が100万部を突破。その記念として従来の東海版(総合地方版)を分離、名古屋、岐阜、三重の三版制を実施して地方記事の充実を図る―ことなどから名古屋開催が決まった。」とある。いろいろな思惑が重なった結果、名古屋が会場に選ばれたようだ。
調査結果
第一回春のセンバツは大正13(1924)年八事の山本球場で開催された。
今回の調査で使った資料
- 『選抜高等学校野球大会60年史』毎日新聞社/編集 毎日新聞社 1989
- 『愛知の高校野球全記録 愛知県高等学校野球連盟史』朝日新聞名古屋本社編集制作センター/編集 愛知県高等学校野球連盟
- 『新修名古屋市史 第6巻』新修名古屋市史編集委員会/編集 名古屋市 2000
- 『熱球譜 甲子園全試合スコアデータブック』常川直俊/編集 東京堂出版 2006
- 『昭和区の歴史』名古屋国際高等学校社会科教科会/編著 愛知県郷土資料刊行会 1999