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調査内容
名古屋と水洗トイレは大いに関係があると聞いたけれど、それって聞き流していい?
調査手順
『水洗トイレの産業史』を読むと、日本の水洗トイレの歴史は初期から製陶業と密接な関係をもっていたことが分かります。「衛生陶器」と呼ばれる日本産の水洗トイレ用の便器は、名古屋の日本陶器合名会社(後のノリタケカンパニーリミテド)の中に私設された製陶研究所で初めて製造されたというのが通説だそうです。さらに、この製陶研究所を設立し、「衛生陶器」の製造を推し進めたのが大倉孫兵衛・和親父子であったことも分かりました。TOTOやINAXとも「決定的なつながりを持っている」(p24)、この大倉父子の話は、『製陶王国をきずいた父と子 大倉孫兵衛と大倉和親』でも読むことができます。
ところで『水洗トイレの産業史』p18は、日本では「水洗トイレの普及それ自体には時間がかかっ」ており、「一九五〇年代に日本の住宅トイレの水洗化率はわずか数パーセント」であることも同時に記しています。名古屋市でも普及に苦労していたことは元名古屋市職員による1948年の論説「都市清掃事業の将来に対する一考察」(『水道協会雑誌』268号所収)から伝わってきます。1949年の論説「名古屋市に於ける水洗便所の近況に就て」(『管工事工業』3巻9・10月合併号所収)では「月賦水洗便所」つまりトイレのローンという普及策が肯定的に紹介されていますが、前述の1948年の論説によるローン批判を読むと、実情は結構複雑だったのかもしれません。
調査結果
日本産の水洗トイレ用便器は、名古屋発祥でした。
名古屋も水洗トイレの普及に苦労していたようです。
この話は聞き(読み)流さないでください。トイレは必ず流してください。
今回の調査で使った資料
- 『水洗トイレの産業史』前田裕子 名古屋大学出版会 2008
- 『製陶王国をきずいた父と子 大倉孫兵衛と大倉和親』砂川幸雄 晶文社 2000
- 『管工事工業』3(9/10),日本空調衛生工事業協会,1949-11
- 国立国会図書館デジタルコレクション(参照2023-11-16)(外部リンク)
- 『水道協会雑誌 = Journal of Japan Water Works Association』(168),日本水道協会,1948-10
- 国立国会図書館デジタルコレクション(参照2023-11-16)(外部リンク)