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資料情報
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No. |
所蔵館 |
資料番号 |
資料種別 |
配架場所 |
別置 |
帯出 |
状態 |
1 |
鶴舞 | 2010430896 | 6版和書 | 2階書庫 | | 禁帯出 | 在庫 |
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太平洋戦争(1941〜1945) 強制収容所 捕虜
要旨 |
「僕はいま釜石にいる」。第二次大戦中、この町の収容所で書かれたオランダ人捕虜の日記。家族と再会の日は来るのか?人間の尊厳と感動と和解のメッセージ。 |
目次 |
ネルと子供たちにキスを―日本の捕虜収容所から(ジャワでの捕虜生活―1942 輸送船で日本へ―1942 日本での捕虜生活―1942‐43 ほか) ネルからウィムへ―遺書 ウィム・リンダイヤ氏へ―遺書の口述筆記者スローテマーカ・デ・ブルイネ嬢の手紙 |
著者情報 |
リンダイヤ,エヴェルト・ウィレム オランダのロッテルダム市に生まれる。1935年ライデン大学で博士号取得、同年、オランダ領東インド(当時)へ渡り、バンドンのキリスト教系高等学校の理科の教師となる。太平洋戦争の勃発、日本軍による同地の占領にともない、衛生兵として徴集されていたところを捕虜となり、当時6歳の長男をかしらに4人の子供と妻を残して、’43年10月初頭、1200人の連合軍捕虜とともに日本本土へ海上輸送される。釜石の日鉄工業(当時)の鉄鉱山などで強制労働に従事させられ、同地で終戦を迎える。’46年7月オランダに帰国し、高校教師、半官半民の研究機関に勤める。デルフト市にて没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
内容細目表:
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