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調査内容
熱田区伝馬町に「都々逸発祥之地」と書かれた碑がありました。都々逸は名古屋で生まれたのですか?
調査手順
まず、都々逸とは、新明解国語辞典によると、「主として恋愛の情をうたった俗曲。七・七・七・五で、口語調」とある。「諦めましたよ どう諦めた 諦めきれぬと 諦めた」などを作り、都々逸を一躍有名にした都々一坊扇歌は知っている人も多いかもしれないね。
さて、熱田区に関する本や都々逸の本を見てみると、いくつか記述がみつかった。それらによると、江戸時代、東海道の宮の宿に鶏飯屋があった。その店には唄の上手なお仲という名の女中がいて、お仲の唄は大変評判で、多くの人がうたい、宮の宿で流行した。その唄の終わりの囃子言葉「そいつはどいつじゃどいつじゃ」というのが訛ってゆき「どどいつどいどい」となり、このような唄を「どどいつ」というようになったと書かれている。
質問にあった碑は、昭和38年に建立され、除幕式では、お仲や扇歌らの供養も行われたんだって。
調査結果
都々逸は、江戸時代にいまの伝馬町にあった鶏飯屋の女中お仲が流行らせた唄から生まれた。この鶏飯屋については、尾張藩士である高力猿猴庵作の「矢立墨」(『随筆百花苑 第11巻』に収録されている)にも描かれているよ。
今回の調査で使った資料
- 『新明解国語辞典』山田忠雄/編 第7版 三省堂 2012
- 『どどいつ入門』中道風迅洞/編 徳間書店 1986
- 『熱田風土記 巻七』池田長三郎/編 久知会 1973
- 『史跡あつた』あつた研究よもぎの会/著 3版 泰文堂 1977
- 『日本近代歌謡史 上』西沢爽/著 桜楓社 1990
- 『隨筆百花苑 第11巻』森銑三/[ほか]編 中央公論社 1982