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調査内容
日泰寺で「乳母車始祖」の石碑を見ました。乳母車は名古屋で発明されたのですか?
調査手順
『明治事物起源』によると、乳母車は万延元年(1860年)に福沢諭吉がアメリカから持ち帰ったものだそうです。
一方『名古屋市史 産業編』や『名古屋七十年史』には、明治二十年(1887年)頃、アメリカ人に幼児の揺りかごを注文されたことから着想した名古屋市の鬼頭鍬次郎(きとうしゅうじろう、くわじろう)が揺りかごに木製の輪をつけたものを「乳母車」と称して販売、全国に広がった、とあります。
「暮しの手帖 2007年8・9月号」では、籐(とう)の乳母車の発祥地が名古屋で、明治末期に鬼頭鍬次郎がイギリスの乳母車を手本に作り始めたことが書かれています。また「愛知県史だより 第20号」には、国産乳母車の製造が鬼頭鍬次郎によって始められたと書かれていて、「中日新聞2018年5月28日」には、鬼頭鍬次郎が籐の乳母車の量産を始めたのが国産乳母車の起源だとありました。
調査結果
諸説ありますが、籐の乳母車、国産乳母車の製造は、明治に名古屋市の鬼頭鍬次郎さんが始めたようです。
今回の調査で使った資料
- 『明治事物起原 下巻』石井研堂/著 増補改訂 復刻版 春陽堂書店 1996
- 『名古屋市史 [第7]』名古屋市/編 愛知県郷土資料刊行会 1980
- 『名古屋七十年史』名古屋市総務局調査課/編集 名古屋市総務局調査課 1959
- 「暮しの手帖 第4世紀 2007年8・9月号 №29夏」暮しの手帖社
- 「愛知県史だより 第20号」愛知県総務部法務文書課県史編さん室/編 発行 2008
- 中日新聞 平成30年(2018年)5月28日朝刊