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調査内容
揚輝荘(ようきそう)ができてから今年で百年。地下に謎のトンネルがあったってほんと?(2018年8月作成)
調査手順
揚輝荘は、松坂屋の初代社長伊藤次郎左衛門祐民の別荘として、大正7年(1918年)からに昭和初期にかけて覚王山につくられた。『保存情報Ⅱ』『東海の近代建築』など東海地方の建築の本を見てみると、建物自体は取り上げられているがトンネルのことは書いていない。「揚輝荘」をキーワードに、さらに調査したところ、『揚輝荘』p.8と『揚輝荘と祐民』p.49--53に地下のトンネルが写真つきで載っていた!平成19年(2007年)にトンネルの東入口が発見されたという記述があったので、もしかして当時はニュースになったかも...。そこで、中日新聞のデータベースで「揚輝荘 トンネル」をキーワードに検索すると、平成17年(2005年)1月8日、同12月29日、平成19年(2007年)3月14日にトンネルについてのくわしい記事が見つかった。
調査結果
北側の有芳軒(ゆうほうけん)から南側の聴松閣(ちょうしょうかく)を結ぶ170mにも及ぶ地下トンネルで、東西にも延びていた。トンネル内部はインド風の模様で飾られていて、途中には八角形のドームもあったらしい。中日新聞の記事によると、平成19年(2007年)3月11日、工事現場での作業中に石張りの壁が見つかった。アーチ形の出入り口があり、「聴泉窟」という表札がかけられていた。
トンネルは、土地の開発などでほぼ失われ、現在入ることはできない。
戦時中は防空壕として使われており、中国から極秘に来日した汪兆銘(おうちょうめい)をかくまう計画もあったと言われている。ただ、本来の建設目的は今でも謎に包まれたままだ。
今回の調査で使った資料
- 『保存情報Ⅱ』日本建築家協会東海支部愛知地域会保存研究会「保存情報Ⅱ」出版編集委員会/編集 日本建築家協会東海支部愛知地域会保存研究会 2000
- 『東海の近代建築』日本建築学会東海支部/編 中日新聞本社 1981
- 『揚輝荘』揚輝荘の会 2011
- 『揚輝荘と祐民』揚輝荘の会/編著 風媒社 2008
- 中日新聞 平成17年(2005年)1月8日朝刊、同12月29日朝刊、平成19年(2007年)3月14日朝刊
- 揚輝荘公式ウェブサイト(2024年6月30日最終確認)(外部リンク)