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調査内容
名古屋で大相撲といえば、毎年7月に行なわれる「名古屋場所」ですが、昔は「ナンヨウ場所」というのがあったそうですね。いつごろ、名古屋のどこで開催されていたのか教えて。
調査手順
名古屋で「ナンヨウ」と言えば、南陽図書館のある港区の「南陽」地区のことかなぁ、と思いつつ『名古屋市港区誌』(港区制施行五十周年記念事業実行委員会 1987)等の港区関係資料を探してみるも、手がかりが見つからない。
今度は名古屋での大相撲について広く調べてみる。『相撲大事典 第4版』には、「ナンヨウ場所」の項目はなかったが、「名古屋場所」についての説明の中に記述があった。資料によると、名古屋で毎年7月に本場所が開催されることになった昭和30年代、会場であった金山体育館には冷房設備がなく、暑さによる過酷な環境での興行を強いられていた。そんな力士にとっても観客にとっても暑くて暑くてたまらない「名古屋場所」のことを「南洋場所」と呼んでいたようだ。当時の様子は、郷土資料コーナーにある『名古屋と相撲』等の相撲関連の資料でより詳しく知ることができた。
調査結果
なんと、「ナンヨウ場所」とは名古屋場所の会場の暑さを由来とした俗称「南洋場所」のことで、正式な場所の名前ではなかった!
冷房のない金山体育館で7月に「南洋場所」が行われていたのは、昭和32年(1957年)から昭和39年(1964年)にかけて。気温30度を超える館内では、通路に氷柱を立てる、中入り後に酸素ボンベから酸素を放出するなどの工夫によりささやかな涼をとっていたようだ。その後、昭和40年(1965年)以降の名古屋場所は、現在まで冷房完備の愛知県体育館で開催されている。なお、金山体育館があった場所は現在、日本特殊陶業市民会館(名古屋市民会館)の敷地の一部となっている。
今回の調査で使った資料
- 『相撲大事典 第4版』金指基/原著 日本相撲協会/監修 現代書館 2015
- 『名古屋と相撲 No.6』名古屋相撲案内所組合編集局 1987
- 『相撲のはなし』日本相撲協会 1982
- 『熱き男たちの系譜 大相撲名古屋場所50年』中日新聞社 2007