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調査内容
「調査団報告書№47」で、菩提寺が守山区の大森寺とわかった第2代尾張藩主光友の母君お尉(じょう)の方について詳しく知りたいのですが、資料はありませんか。
調査手順
守山区大森附近や大森寺について書かれている資料を調査しました。
『名古屋叢書 続編 第5巻』(尾張(おわり)徇(じゅん)行記(こうき))p.392~394に記述があります。さらに、この内容をわかりやすくした資料が2冊あります。『街道への誘い』p.34~37、『わが郷土・大森森孝新田』p.12に記述があります。
これらの資料によりますと、お尉の方は通称「乾(いぬい)の御方」と呼ばれていました。
初代藩主義直公が狩りの帰りの道中、大森村を通った際にお見初めになりました。庄助という百姓の娘でしたが、知多郡吉田氏の養女として奉公に上がり、側室として迎えられました。
母君が亡くなった後に藩主となった光友は、江戸小石川の墓を郷里である大森の地に移し大森寺を建立して弔いました。
調査結果
以下の資料に載っています。
今回の調査で使った資料
- 『名古屋叢書 続編 第5巻』名古屋市教育委員会 1966
- 『街道への誘い ふるさと守山物語』川本文彦/著 風媒社 1997
- 『わが郷土・大森森孝新田』名古屋市立大森中学校/編 1975
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- 調査団報告書No.54 「「調査団報告書№47」で、菩提寺が守山区の大森寺とわかった第2代尾張藩主光友の母君お尉(じょう)の方について詳しく知りたいのですが、資料はありませんか。」 <PDF形式,191KB>(2017年5月作成)
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