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調査内容
名鉄・小牧駅のそばで「名古屋コーチン発祥の地」と書かれた碑を見たのだけど、なんで名古屋コーチンは小牧発祥なのに「名古屋コーチン」なの?
調査手順
「名古屋コーチン」は、どのように生まれたのでしょうか。まず日本の養鶏の歴史を調べてみましょう。『日本養鶏史』によると明治17年(1884年)に元尾張藩士の海部兄弟(海部壮平(かいふそうへい)、海部正秀(かいふまさひで))が現在の小牧市池之内にて、地鶏と九斤(バフコーチンという説もあり)を掛け合わせて作出したとあります。当初は「海部種(カイフダネ)」、「薄毛(ウスゲ)」などと呼ばれていたようです。「名古屋コーチン」の呼称については『愛知の養鶏史』にも詳しく書かれています。なお、「コーチン」は『欧州家禽図鑑』によるとインドシナ半島南部コーチシナ(交趾支那:Cochin China)からきた名称ということです。
調査結果
実際には小牧発祥ですが、尾張藩出身の士族仲間が京阪地方に持って行き、「名古屋方面からきた鶏」ということで「名古屋コーチン」という名前で呼ばれるようになりました。明治38年(1905年)には日本家禽協会が「名古屋コーチン」を一つの品種として登録しました。大正8年(1919年)に「名古屋種」と改称しましたが、現在でも一般的には旧称である「名古屋コーチン」が使われています。なお、日本家禽協会の「名古屋コーチン」登録日にちなんで、平成28年(2016年)、日本記念日協会は3月10日を「名古屋コーチンの日」として認定しました。
今回の調査で使った資料
- 『日本食肉史基礎資料集成 第153輯 日本養鶏史』栗田 1983
- 『愛知の養鶏史』愛知の養鶏史編さん委員会 1987
- 『名古屋コーチン作出物語』入谷哲夫/著 ブックショップ「マイタウン」 2000
- 『欧州家禽図鑑』秋篠宮文仁/[ほか]著 平凡社 1994
- 『一般社団法人 日本記念日協会ホームページ』(2017/1/17アクセス)(外部リンク)
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- 調査団報告書No.51 「名鉄・小牧駅のそばで「名古屋コーチン発祥の地」と書かれた碑を見たのだけど、なんで名古屋コーチンは小牧発祥なのに「名古屋コーチン」なの?」 <PDF形式,170KB>(2017年2月作成)
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