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調査内容
昔、名古屋には国技館があったと聞いたことがあるけど、本当ですか?
調査手順
まずは、相撲関係の資料から調べてみよう。
『相撲大事典 第四版』によれば、1909(明治42)年に国内初の屋内型相撲興行施設として、東京に両国国技館が開館し、成功を収めて以降、全国各地で私設の「国技館」建設がブームとなっていたようだ。横浜、京都、熊本などに続き、名古屋では1914(大正3)年2月に「名古屋国技館」が開館していることが分かった。建物は正十六角形の鉄骨4階建て、8800人収容可能というモダンかつ大規模なもので、当時の『名古屋新聞縮刷版』を確認すると同年2月3日付で「日本一の名古屋国技館」という見出しの記事が掲載されているのが確認できた。
では名古屋の国技館はその後どうなったのだろうか?郷土資料コーナーにある『東海の相撲史 第1巻』『愛知県(明治・大正・昭和の郷土史)』などで開館以降の経緯が確認できる。
資料によると、同年2月6日には当時の横綱や名古屋市長、愛知県知事など来賓800名が出席する華々しい開館式が催された。ただ、開館式の翌日から始まった東京大相撲の興業では、収容可能人数の半数程度の客入りしかなく、以降も不入りが続いたようだ。相撲以外には、映画上映、演説会、サーカスなどにも使用されたものの、経営はうまくいかず、10年後の1924(大正13)年には取り壊されてしまった。国技館の所在地は、現在の中区丸の内、名城小学校のある場所であるということも分かった。
調査結果
国技館があったのは、東京・両国だけではなかった!
「名古屋国技館」という施設が、1914(大正3)年から1924(大正13)年にかけて、確かに名古屋にありました。
今回の調査で使った資料
- 『相撲大事典 第4版』金指基/原著 日本相撲協会/監修 現代書館 2015年
- 『愛知県 (明治・大正・昭和の郷土史)』日下英之/編著 昌平社 1982年
- 『東海の相撲史 第1巻』東海相撲史談会/編 東海相撲史談会 1986年
- 『名北労基 第847号』社団法人名北労働基準協会 1988年3月
- 「なごや特走隊 名古屋にも『国技館』大正期に建設ブーム」(『中日新聞』2008年8月11日市民版朝刊) 中日新聞社