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調査内容
幕末、人々が「ええじゃないか」と囃し立てながら踊る騒ぎは各地にあったそうですが、大須が始まりだと聞きました。本当?
調査手順
『國史大辭典 第2』で「ええじゃないか」を引くと、「慶応三年(一八六七)」「八月四日三河国御油宿での発生が記録上の初見である。」と書かれています。
『新修名古屋市史 第4巻』では、慶応3年の「八月二八日に若宮八幡西、門前町の仏師京屋軒に伊勢外宮の御札が降った。」「これを最初として、名古屋各所に種々の神仏の札などが降」った、という記述があります(『丁卯雑拾録1』)。さらに、「こうした神仏の御札が降ったことを理由に臨時の祭礼が行われるのは、この年、名古屋が最初ではなく、三河の方が早かった。三河国渥美郡大西村(豊橋市)に七月一四日に伊勢外宮の御札が降り、一五日に伊雑の宮の御札が降った。」とあり(『新居町史第8巻』森田家寄託文書)、「いわゆる「ええじゃないか」の発端である。」と書かれています。
では、どうして大須の辺りが発祥という話が出てきたのでしょうか?
『「ええじゃないか」と近世社会』によると、「この「騒動」の「発生」の場所と月日については、(中略)名古屋、八月下旬とする理解がほぼ通説とされ、概説書や教科書の叙述にとり入れられてきた」「いずれも伝聞を根拠にしているものである。比較的早くから騒ぎのはじまった名古屋の情報が、大都市であるために、より早く四方に伝わったのであろう。」とあります。
昔の言い伝えを探してみると、『名古屋むかしばなし散歩道』に「ええじゃないか」発祥の地として大須が載っていました!
調査結果
「ええじゃないか」は、昔は名古屋から始まったって言われていたんだって。
今回の調査で使った資料
- 『國史大辭典 第2』国史大事典編集委員会/編 吉川弘文館 1980年
- 『ええじゃないか始まる』田村貞雄/著 青木書店 1987年
- 『「ええじゃないか」と近世社会』伊藤忠士/著 校倉書房 1995年
- 『「ええじゃないか」の伝播』田村貞雄/編 岩田書院 2010年
- 『新居町史 第8巻』新居町史編さん委員会/編 新居町 1986年
- 『丁卯雑拾録 1』[小寺玉晁/原編] 新装版 東京大学出版会 1999年
- 『名古屋むかしばなし散歩道』加藤昭/再話 加藤昭 1994年
- 『新修名古屋市史 第4巻』新修名古屋市史編集委員会/編集 名古屋市 2001年