- 最近の調査団報告書は名古屋なんでも調査団へ
- これまでの調査団報告書は調査団報告書一覧へ
- PDF版の一覧は調査団報告書一覧(PDF版)へどうぞ
調査内容
明治の初めごろ、名古屋に「名古屋坂道の三寒(さんさむ)」という寒くて有名な坂道を指す言葉があったそうです。どこの坂道なのでしょうか?
調査手順
名古屋にも坂道はたくさんありますが、寒さで有名な坂っていったいどこでしょう......。
ひとまず『新修名古屋市史』で「名古屋坂道の三寒」という言葉が載っていないか調べてみます。すると、『第9巻』p.29に「名古屋には明治の初期ごろまで、サンサム(三寒)という言葉があった。この地方の坂道のうち、枳殻坂(東区)、沢の観音の坂(熱田区)、吹上坂(千種区)を「名古屋坂道の三寒」とよんでいた(『名古屋の坂道』)」という記述を発見!!
どうやら『新修名古屋市史 第9巻』は『名古屋の坂道』という資料を参考にして、この部分を記述しているようです。では『名古屋の坂道』は図書館にないのか調べてみると、『生きている名古屋の坂道』という資料が見つかりました。それぞれの坂の場所について次のような記述がありました。
・枳穀坂 p.180-183「東大手門を出て、三之丸の外堀にそって、約一五〇メートル北進するところから坂道となる。これが、枳穀坂と呼ばれた坂である。」
・沢の観音の坂 p.270-271「沢の観音とは、熱田区新尾頭町の、妙安寺の境内にある観音堂からこの名称ができた。」
・吹上坂 p.272-275「吹上坂の南の御器所ヶ丘の高台に、愛知工業学校や名古屋高等工業学校(注:現在の名古屋工業大学の前身のひとつ)が出来た。」
調査結果
「名古屋坂道の三寒」とは「枳穀坂」「沢の観音の坂」「吹上坂」の3つ!
枳殻坂は現在の名鉄瀬戸線東大手駅と愛知県立明和高校の間の坂、沢の観音の坂は熱田区にある妙安寺の北側の坂、吹上坂は名古屋工業大学の北側の坂と考えられます!
今回の調査で使った資料
- 『新修名古屋市史 第9巻』新修名古屋市史編集委員会/編 名古屋市 2001
- 『生きている名古屋の坂道』岡本柳英/著 泰文堂 1978
pdfダウンロード
- 調査団報告書No.148 「明治の初めごろ、名古屋に「名古屋坂道の三寒(さんさむ)」という寒くて有名な坂道を指す言葉があったそうです。どこの坂道なのでしょうか?」 <PDF形式,220KB>(2025年3月作成)
PDF形式のファイルを閲覧するにはAdobe Reader(無料)が必要です。
※AcrobatReader5.0以上を推奨しています。