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調査内容
南区に東又兵ヱ町、西又兵ヱ町ってあるけど、どういう由来?東又兵ヱ、西又兵ヱという名前の人がいたの?兄弟?
調査手順
確かに変わった町名ですね。町名ということなので、『なごやの町名』を見てみます。それによると、どちらの町名も、その地の新田を開発した加藤又兵衛の名に由来するとありました。
『愛知郡誌』、『愛知県史』などで調べると、加藤勝貞、通称又兵衛は笠寺村に生まれ、幼名を三穗介といい、農業を奨励して新田開発を行ったそうです。その他、遠州二俣に通じる道を開き、それが大変便利になったことから、人々はその地に勝貞を祀り、祠を建てて功徳を称えたそうです。
『南区誌』や『南区の新田干拓の歴史』によると、正徳5(1715)年に又兵衛と笠寺村の百姓によって開墾された又兵衛新田と、寛延2(1749)年に又兵衛によって開墾された又兵衛新新田があり、前者が現在の東又兵ヱ町、後者が西又兵ヱ町の位置におおよそ当たります。
調査結果
その地の新田開発を行った加藤勝貞(通称又兵衛)に由来する町名でした。
ちなみに、このように新田開発を行った人の名が由来となっている町名はこの他、源兵衛町(南区)や甚兵衛通(港区)などもあります。
今回の調査で使った資料
- 『なごやの町名』名古屋市計画局/[編] 名古屋市計画局 1992
- 『愛知郡誌』愛知郡/編 愛知県郷土資料刊行会 1977
- 『愛知県史』下巻 [愛知県/編] [愛知県] [1914]
- 『南区の新田干拓の歴史』杢野雅英/著 杢野雅英 2003
- 『南区誌』名古屋市南区役所/編集 1979