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調査内容
東山動物園へゾウ列車という列車が運行されていたそうだけど、どんな列車だったの?
調査手順
『東山動植物園公認ガイドブック』を読んでみると、ゾウ列車を紹介しているコラムが見つかりました。
もう少し詳しい経緯が紹介されている本を探してみると、『東山動物園日記』にゾウ列車について記録がまとめられていました。またゾウ列車をテーマにした歌も作られており、歌が作られるまでの出来事を紹介した『ぞうれっしゃよ走れ』という本に戦時中、様々な苦難の中ゾウを守った人々とゾウ列車が運行されるまでの出来事が紹介されていました。
調査結果
「ゾウ列車」は戦後、日本で唯一戦争を生き延びた東山動物園のゾウに子どもたちが会うため日本全国から名古屋へ向けて特別に運行された列車でした。
太平洋戦争中、殺されたり、食料不足のため病気になったりして各地の動物園で多くの動物達が命を落としました。東山動物園でもライオンやクマなど多くの動物が犠牲になりました。しかし、職員の努力により2頭のアジアゾウが戦争を生き延びました。戦後、東京の子供達からゾウがいなくなった上野動物園へ1頭を譲ってほしいとお願いされましたが、戦争で体が弱ったゾウを東京へ運ぶことは難しく、固い絆で結ばれていた2頭も引き離されることを嫌がりました。そこで名古屋市、東京都、国鉄(現在のJR)が話し合い子供たちを東山動物園へ招待してゾウを見てもらうことが決まり、全国各地から名古屋へ向けてゾウを見るための子供たちを乗せた特別列車「ゾウ列車」が運行されました。
第一弾は昭和24年(1949)6月18日に滋賀県彦根市から運行され、約1400名の子供たちが東山動物園へやってきました。その後、東京や大阪、京都など日本各地からゾウ列車が運行され大勢の子供たちが東山動物園のゾウに会いにやってきました。ゾウ列車はその年の秋に運行を終了しましたが、戦争以降、苦しい生活が続いていた多くの子供たちを笑顔にしました。
今回の調査で使った資料
- 『東山動物園日記』朝日新聞社名古屋本社社会部/編 ペップ出版 1977
- 『ZOOっといっしょ2 東山動植物園公認ガイドブック』 東山動物園くらぶ/編 中日新聞社 2017
- 『ぞうれっしゃよ走れ みんなの胸から胸へ』清水則雄/[ほか]著 労働旬報社 1989
- 『東山動植物園とともに歩んだ60年 東山公園協会設立60周年』東山公園協会 2009
- 『総合学習シリーズ 4 ゾウ列車』名古屋市東山動物園/監修 東山公園協会 2008