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調べ物案内

調査団報告書No.102

調査内容

最近囲碁を習いに行き始めてね。江戸時代、名古屋出身の囲碁棋士っていたのかな? 有名な人がいれば知りたいな。その人の打った対局の記録も残っているだろうか?

調査手順

現代も囲碁棋士の名簿が載る『囲碁年鑑』の各種特集で、江戸時代の囲碁棋士の情報を探してみた。1993年版に「江戸・明治著名棋士名鑑」のページがあり、「名古屋の生まれ」という伊藤松和を見つけた。名前を手掛かりに、江戸時代の囲碁棋士に関する他の本も見てみる。

調査結果

解決スタンプ

『囲碁年鑑』1993年版の略歴のほか、いくつか囲碁の本で「伊藤松和(いとうしょうわ)」が名古屋出身という記載が確認できた。
伊藤松和は、名古屋の商家出身。幼名は松次郎という。
12歳で尾州家の藩士が素質を見込んで出資し、囲碁の家元の1つ、本因坊家に入門。しばらくして修行に飽き自信を失い郷里に戻った松和は、親せきや知人の反対にあい再び上京する。刻苦勉励して文政5年(1822年)初段を許された。五段で郷里に戻り、知己に昔の恩を謝したといわれている。「尾張の松次郎」の名は高まり、天保2年(1831年)、尾州侯は御目見得のうえ苗字帯刀を許した。
ふたたび江戸に出て、七段に進められて「松和」と改名。嘉永2年(1849年)、松和は49歳で「御城碁」と言われる将軍の御前で囲碁を打つ対局に初出仕。「天保四傑」と呼ばれた1人として、幕末を代表する一流棋士と称えられている。長寿を得、78歳で亡くなった。
「御城碁」を含む松和の対局の記録(棋譜)は、『日本囲碁大系 第13巻』等に載っている。

今回の調査で使った資料

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