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調査内容
江戸時代、名古屋にロシア語の辞書があったと聞いたことがあるのですが、辞書は本当に存在したのでしょうか。
調査手順
図書館にどんなロシア語の辞書があるか検索機で確認するため、詳細検索の件名の欄に「ロシア語」と入力し、出版の古い順で検索してみると『ヲロシヤの言』という資料の影印本(原本を写真撮影し複製したもの)を確認することができました。著者「小栗重吉」と記述されているので、名古屋市図書館HPの「なごやコクレション」で検索してみると関連する資料を見つけることができました。『名古屋市史 地理編』『愛知百科事典』『傳記 第4巻』『船長日記』によると「小栗重吉」は名古屋納屋町小島屋庄右衛門所有の督乗丸の船長として江戸まで尾張藩の米を運んだ帰路、嵐に遭い、イギリス船に救助されるまで漂流し、ロシアのカムチャッカに滞在した時に『ヲロシヤの言』を書いたことが記述されています。また『傳記 第4巻』によると『ヲロシヤの言』は五枚の刷り物で、大判美濃紙三段にわたり日本語の下にカタカナでロシア語が335字記されています。刊行年月日は不明ですが文化末か文政初期とされていて、「日本に於ける和魯字典の先驅と見る可きであらう。」という記述がありました。
調査結果
わずか数ページではありますが、日本語の下にカタカナでロシア語が書かれている『ヲロシヤの言』というロシア語の辞書らしきものは存在したようです。なお、小栗重吉が仲間の船員のために建てた供養碑が現在熱田区の成福寺にあります。
今回の調査で使った資料
- 『名古屋市史 地理編』名古屋市/編纂 中部経済新聞社 1916
- 『ヲロシヤの言』[小栗重吉/著] 影印 [堀川柳人] [1928]
- 『船長日記』[重吉/述] 育英書院 1943
- 『傳記 第4巻』伝記学会/編 広文庫 1974
- 『愛知百科事典』中日新聞社/編 中日新聞本社 1976
- 『愛知に輝く人々 3』愛知県小中学校長会/編 愛知県教育振興会 1982