- 最近の調査団報告書は名古屋なんでも調査団へ
- これまでの調査団報告書は調査団報告書一覧へ
- PDF版の一覧は調査団報告書一覧(PDF版)へどうぞ
調査内容
オカラネコってどんなネコ?
調査手順
キーワード「オカラネコ」でインターネット検索をすると、中区役所の作成した「「おから猫」の不思議ばなし」がヒット。ここで紹介している『作物志』は江戸時代後期の著名な戯作者、石橋庵真酔の記した書物で、「異獣」の項にオカラネコの記述がある。
『名古屋市史 索引』で調べてみる。『名古屋市史 社寺編』p.289に載っているようだ。"大直禰子(おおただねこ)神社"のところに「旧称は「おからねこ」」とあり、その説明がある。ふむふむ...うん?ネコじゃない?!いろいろな説があるようだ。江戸時代末期の名所を紹介している『尾張名陽図会』の巻六、神社のある地域の歴史が書かれている『前津旧事誌』のp.64、『袂草(たもとぐさ)』という江戸時代の随筆にも書かれていることがわかった。博物館の図録『富士見の里 昔の前津』の説明は簡単だけど、これが一番わかりやすいかも。【サイト最終確認日 2015/05/21】
調査結果
『作物志』には、次のように書かれている。「城南の前津、矢場の辺に、一物の獣あり。大さ牛馬を束ねたるが如し。背に数珠の草木を生ず。嘗ていづれの時代よりか、此所に蟠(わだかまり)て寸歩も動ず。一声も吼(ほえ)ず、風雨を避ず、寒暑を恐れず、諸願これに向て祈念するに、甚掲焉(はなはだいちじる)し。然れども人、其名をしらず、形貌自然と猫に似たる故に、俚俗(りぞく)都(すべ)て御空猫(おからねこ)と称す。」
昔あった鏡御堂というお堂に祀られていた狛犬を唐の猫だと思い、人々が「おから猫」と呼んでいたという説や、そのお堂が無くなってしまったあと、そばにあった榎の樹が朽ち果てて、根だけが残り、それを「おから根」や「於空根子」と呼ぶようになったという説などいろいろな説がある。
明治の初めに、於加良根子(おからねこ)神社になったため、その名前からネコの神社だと思う人たちがたくさんいたそうで、明治42年に大直禰子神社という名前に変えたということだ。
今回の調査で使った資料
- 『名古屋市史 社寺編』名古屋市/編 愛知県郷土資料刊行会 1980年
- 『日本名所風俗図会 6』角川書店 1984年
- 『前津旧事誌』山田秋衛/著 愛知県郷土資料刊行会 1978年
- 「作物志」『名古屋叢書 第16巻』名古屋市教育委員会/編 愛知県郷土資料刊行会 1982年
- 「袂草」『名古屋叢書 第23巻』名古屋市教育委員会/編 愛知県郷土資料刊行会 1983年
- 『富士見の里昔の前津』名古屋市博物館/編 名古屋市博物館 2006年