展示期間:2023年12月9日(土曜日)から2024年3月14日(木曜日)
名古屋と家康の関係は、幼少時代の人質生活から始まり、名古屋城築城など生涯に渡っています。
NHK大河ドラマ「どうする家康」はこの展示期間中に最終回を迎え"いまさら"ではありますが、当館所蔵の資料の中から名古屋と家康に関するものをいくつかご紹介します。
■ 主な展示資料 ■
No. | 書名 | 請求記号 | コメント |
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1 | 金城温古録 | 市13-240 | 名古屋城の築城は1610(慶長15)年に家康が命じました。当時はまだ大阪・豊臣家の脅威が残っていたころ。江戸幕府を守るため、両者の間に位置する東海地方に "とりで" を築く必要があったのです。この資料はそれから200年以上後に編纂された、名古屋城の百科事典です。 |
2 | 名古屋城下(尾張国町村絵図) | NA295/291 | 家康は名古屋城築城とともに城下町の整備も行ない、城の南側は碁盤の目のように縦横に直線的に区切られた「碁盤割」となりました。太平洋戦争の空襲で町全体は焼失してしまいましたが、その区画や通りの名前などは残っており、名古屋のまちなみの原型がつくられました。 |
3 | 難波戦記 | 河ナ-88 | 徳川家康が旗印に用いたキャッチフレーズ「厭離穢土(おんりえど、またはえんりえど)欣求浄土(ごんぐじょうど)」は浄土信仰の基本とされる言葉です。「御旗本合戦附扇子御指物事」にその由来についての記述があります。 |