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ぞうしょじょうほう

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しょしじょうほうサマリ

本のだいめい

中世哲学講義 第5巻  昭和56年-58年度

書いた人の名前 山田晶/著
しゅっぱんしゃ 知泉書館
しゅっぱんねんげつ 2022.7
本のきごう 132/00120/5


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No. としょかん 本のばんごう 本のしゅるい 本のばしょ くわしいばしょ せいげん じょうたい
1 鶴舞0238159735一般和書2階開架人文・社会在庫 

かんれんしりょう

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しょししょうさい

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本のきごう 132/00120/5
本のだいめい 中世哲学講義 第5巻  昭和56年-58年度
書いた人の名前 山田晶/著
しゅっぱんしゃ 知泉書館
しゅっぱんねんげつ 2022.7
ページすう 21,275,7p
おおきさ 22cm
かんしょめい 昭和56年-58年度
ISBN 978-4-86285-366-0
ぶんるい 132
いっぱんけんめい 哲学-歴史-中世
本のしゅるい 一般和書
ないようしょうかい 山田晶が京都大学文学部で昭和41年から昭和58年まで毎年開講した「西洋中世哲学史概説」を講義手稿にもとづいて編集。第5巻は、昭和56年度前期講義から昭和58年度後期講義までを収録。総目次、聖書・人名索引も掲載。
しょし・ねんぴょう 山田晶参照文献一覧:巻末p5〜7
タイトルコード 1002210031586

ようし 京都大学での昭和41年から58年まで18年におよぶ「中世哲学」講義を全5巻に収録、他に類のない貴重な記録である。本巻では退職1年前の昭和56‐58年度までの3年間の講義を収載する。「中世哲学の基本を特徴づけているものとは何か」という関心の下に継続された講義の最終巻となる。人間知性が「第一に認識するのはエンスなのかエッセンチアなのか」という問いから始まる56年度の講義は、第一に認識されるのは「エンスのエッセンチアである」との答えが与えられ、その後に考察は存在の根原から認識(光)の根原としての神の認識へと向かう。
もくじ 第一に認識されるものについての問題(一)―「エンス」か「エッセンチア」か
第一に認識されるものについての問題(二)―「エンスのエッセンチア」essentia entis
第一に認識されるものについての問題(三)―エッセンチアの在り場としてのエッセの認識
第一に認識されるものについての問題(四)―神のエッセの認識
第一に認識されるものについての問題(五)―第一真理としての神
第一に認識されるものについての問題(六)―問題の要約と展望
第一に認識されるものについてのトマス説(一)―「現生における」という知性認識の条件
第一に認識されるものについてのトマス説(二)―神の本質が知性の第一認識であるとする説の反駁
第一に認識されるものについてのトマス説(三)―光の説の歴史的由来、能動知性
第一に認識されるものについてのトマス説(四)―能動知性の二つの解釈〔ほか〕


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