蔵書情報
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書誌情報サマリ
書名 |
昭和二十年夏、子供たちが見た戦争 (角川文庫)
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著者名 |
梯久美子/[著]
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出版者 |
角川書店
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出版年月 |
2013.6 |
請求記号 |
916/03047/ |
資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料番号 |
資料種別 |
配架場所 |
別置 |
帯出 |
状態 |
1 |
西 | 2132066131 | 一般和書 | 一般開架 | | | 在庫 |
関連資料
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書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
請求記号 |
916/03047/ |
書名 |
昭和二十年夏、子供たちが見た戦争 (角川文庫) |
著者名 |
梯久美子/[著]
|
出版者 |
角川書店
|
出版年月 |
2013.6 |
ページ数 |
335p |
大きさ |
15cm |
シリーズ名 |
角川文庫 |
シリーズ巻次 |
か58-3 |
ISBN |
978-4-04-100880-5 |
一般注記 |
「昭和二十年夏、子供たちが見た日本」(2011年刊)の改題,加筆 |
分類 |
916
|
一般件名 |
太平洋戦争(1941〜1945)
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書誌種別 |
一般和書 |
内容注記 |
『昭和二十年夏、子供たちが見た戦争』関連年表:p327〜335 |
内容紹介 |
子供たちの目に、大人たちは、戦争は、日本の未来はどのように映ったのか。角野栄子、児玉清、舘野泉、辻村寿三郎、倉本聡、五木寛之ら10人が、子供時代に体験した戦争と戦後を語る。 |
タイトルコード |
1001310032100 |
要旨 |
最前線に慰問に行った子がいた。38度線を命からがら逃げのびた子がいた。闇市で働いた子がいた。疎開したり、軍国少年だったり、満洲にいたり…。そしてみんな終戦の時、普通の子供だった。そんな彼らの目に、大人たちは、戦争は、日本の未来はどのように映ったのか。10人の著名人が語った10の戦争、10の戦後、大宅壮一ノンフィクション賞受賞の作家が綴った、あの戦争の証言を聞くシリーズ、第3弾。 |
目次 |
私は疎開してみたかったのね。違うところに行ったら、違う世界が見えるんじゃないか。別の運命があるんじゃないか。そう思ったの。(角野栄子) そうしたらね、入ってきたんですよ。ジープを先頭に。ついこの前まで、鬼畜米英と思っていたんだけど、目の前で見ると、やっぱり輝いて見えてしまう。(児玉清) 僕は、いい時代に育ったと思っているんです。敗戦直後の、ものすごく自由で解放された雰囲気。誰もが貧しかったけれど、活気があった(舘野泉) 原爆ドームに行ってみたら、ふっと出てきたんです。ええ、みっちゃんが猫を抱いていて。あの猫はね、冷たかった。死んでる猫だったのよ。(辻村寿三郎) あのころは女学生も来て、僕の見ている前で打っていた。僕、聞いたんですよ。「なんでヒロポン打つの」って。そしたら「痩せたいから」。(梁石日) 出征した担任教師が戦死。これからまだまだ、いろいろなことが起こるにちがいないと思いました。とにかく憂鬱でした、世界が。(福原義春) ええ、私にはわかっていました。この人たちはもうすぐ死んでいくんだって。一度飛び立ったら還ってきてはいけないということも。(中村メイコ) 終戦後の大連ではコックリさんが大流行しました。大の大人が「コックリさん、コックリさん、私たちはいつ帰れますでしょうか」とやる。(山田洋次) 僕はたぶんあのとき、心底怖かったんだと思います。もしかしたら僕があの浮浪児になっていたかもしれない。何かが間違ったら、あの少年は僕だったかもしれない、と。(倉本聰) 少なくとも兵士は銃を持って戦場に出た。でも一般の市民は、誰も守ってくれない無法状態の中に丸腰のまま放り出されたのです。(五木寛之) |
著者情報 |
梯 久美子 1961(昭和36)年、熊本市生まれ。北海道大学文学部卒。編集者を経て文筆業に。2006(平成18)年、初の単行本である『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。同作は米・英・仏・伊など世界8か国で翻訳出版されている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
内容細目表:
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