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名古屋の偉人伝 No.34 吉田禄在(よしだろくざい)の巻

ここがスゴイ!

吉田禄在の写真 『愛知県紳士録』より

初代名古屋区長。鉄道敷設や街路整備など終生名古屋の発展のために尽くし、近代都市名古屋の基礎をつくった。

こんな人生を送ってきました

1838(天保9)年9月23日、尾張藩士吉田弥左衛門の子として誕生。
埼玉や愛媛の県庁に勤めた後、1876(明治9)年に帰郷。同年、38歳で愛知県第一区長となる。 1878(明治11)年、郡区町村制施行にともない名古屋区長となる。
1883(明治16)年、政府が官設の鉄道敷設計画で中山道を通すことに決定すると、県の土木課長らと東京に井上鉄道局長を訪ね、経済流通や商工業の発展の上から東海道に変更すべきであると説明。政府による再調査もあり、幹線は東海道へ変更となった。区長在任中には、宮内省へ献納された名古屋城金鯱の返還に尽力。そのほか鉄道敷設に合わせた広小路の拡幅・延長や、戸籍の整備など区政の合理化、道路・橋・排水路・河川・病院・学校・公園・港湾などの設置・改修に努力し、近代都市名古屋の基礎づくりをする。
1888(明治21)年、50歳で区長を辞職。
1889(明治22)年、名古屋米穀取引所理事長、第四十六国立銀行頭取などの要職につく。また、愛知県議会名古屋市部議長をつとめるなど、終生、名古屋市発展のために尽くす。
1916(大正5)年3月3日、78歳で死去。

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