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名古屋の偉人伝 No.31 豊竹呂昇(とよたけろしょう)の巻

ここがスゴイ!

豊竹呂昇の写真 「義太夫雑誌(30)」(国立国会図書館所蔵)より

明治・大正に一世(いっせい)を風靡(ふうび)した女義太夫(おんなぎだゆう)(娘義太夫)の大スター。
一座を率いた全国興行、劇場進出、レコード進出など異色の活躍をし、熱烈なファンがいる一方で軽視されていた、女義太夫の社会的地位を高めた。

こんな人生を送ってきました

本名永田仲子、明治7(1874)年8月4日生・昭和5(1930)年6月7日没。
名古屋上宿(現在の西区城西)に生まれる。10歳のとき父が病死。翌年叔父に義太夫の手ほどきを受け、12歳で五世竹本土佐太夫の門人に、18歳で初世豊竹呂太夫の門人になる。
義太夫の本場大阪でたちまち人気を博し、語り・三味線を文楽の名だたる名人・名手に師事した。
22歳で旗揚げ、23歳から全国巡業を始め、31歳で劇場進出、34歳で有楽座に進出したことをきっかけに全国的なスターとなり、「有楽座のドル箱」と呼ばれた。50歳で引退、55歳他界。

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