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名古屋の偉人伝 No.22 天野信景(あまのさだかげ)の巻

ここがスゴイ!

志保之里の写真 当館所蔵資料「志保之里(しおじり)」。伝信景自筆本。

全千巻ともいわれる膨大な量の随筆「塩尻」の作者。「尾張風土記」の製作に関わり、尾張藩の編纂した最初の地誌「張州府志」に大きな影響を与えた。

こんな人生を送ってきました

寛文元(1661)年名古屋城下に生まれる。貞享元(1684)年父の跡を継いで藩の寄合役になる。元禄11(1698)年、尾張藩主徳川綱誠より、吉見幸和・真野時綱とともに「尾張風土記」を作ることを命じられる。翌年、綱誠の死去とともに出版計画が中止。正徳5(1715)年先手鉄砲頭を務め、享保8(1723)年病気を得て辞職。享保15(1730)年隠居、享保18(1733)年病没。

人柄は温厚で、あらゆる方面で多くの書物を読み、広く物事を聞き知って、またよく記憶していたという。特に古い時代の書物に詳しく、伊勢物語に出てくる言葉で古来より謎とされていた「しほじり」の意味を解き明かした。(代表作「塩尻」の冒頭部にあたり、タイトルの由来とされる。)文武両道で風流人だったとも伝えられている。
信景の死後になる宝暦2(1752)年、松平君山が尾張最初の藩撰地誌「張州府志」を編集。その時に信景の書き残したものを数多く取り入れた。天明2(1782)年、門人の一人が『塩尻』百巻を編集する。『塩尻』は神道、国学、儒教、政治、歴史、地誌、言語、天文、武術、工芸など様々なことにわたって記したもので、その内容範囲の豊富なところに特色がある。信景が残したものは全一千巻ともいわれるが、そのほとんどが失われてしまった。

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