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資料情報
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No. |
所蔵館 |
資料番号 |
資料種別 |
配架場所 |
別置 |
帯出 |
状態 |
1 |
鶴舞 | 2010734032 | 6版和書 | 2階書庫 | | 禁帯出 | 在庫 |
関連資料
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要旨 |
ハプスブルク帝国最後の皇太子、オットー・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンの波乱万丈の生涯を、豊富な史料と本人へのインタビューで明らかにする。1916年、4歳で皇太子となったオットーは、1938年、ナチの傀儡となることを拒んだためヒトラーから執拗に命を狙われる。帝国崩壊後、亡命の身で祖国復興に奔走。戦後処理では、ルーズベルトやチャーチルと連携してソ連に対抗し、オーストリアを西側にとどめた。戦後は欧州議会議員として欧州統合に尽力、ベルリンの壁崩壊につながる1989年8月19日のパン・ヨーロッパ・ピクニックを主催した。戦いに次ぐ戦いの生涯にみる、もう一つの欧州現代史。 |
目次 |
幼年時代 1912‐1929 青年時代 1929‐1940 アンシュルス(ドイツによるオーストリア併合) 1938 パリ 1939‐1940 挑戦し続けるオットー 1940 再びアメリカへ 1940‐1944 オーストリア再興のための戦い 中央ヨーロッパの命運 1943‐1944 モスクワ宣言発効 1944 ハンガリー 第二次世界大戦終結後 1945‐1991 東西冷戦終結 |
著者情報 |
ファイグル,エーリッヒ 1931年ウィーン生まれ。テレビドキュメンタリーの映像作家であり著述家でもある。ツィタ皇后とオットー大公に直接インタビューをし、また多くの資料を入手し、ハプスブルク家に関する著作やフィルムを数々作成。その優れた仕事に対して学問と芸術における栄誉賞を授与され、またウィーンの市民として金の栄誉賞も受けている。2007年死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 関口 宏道 1941年生まれ。文学修士。松蔭大学教授。専門はドイツ現代史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 北村 佳子 1974年早稲田大学第一文学部ドイツ文学専攻卒業。ゲーテ・インスティテュート東京上級クラス修了。ウェラ化粧品、コメルツ銀行東京支店などに勤務。ドイツ人役員や支店長の秘書として翻訳通訳業務を行う。2001年コメルツ銀行退職。現在はフリーランスとしてドイツ語の翻訳業務に携わる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
内容細目表:
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