蔵書情報
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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料番号 |
資料種別 |
配架場所 |
別置 |
帯出 |
状態 |
1 |
鶴舞 | 0236877288 | 一般和書 | 2階開架 | 人文・社会 | | 在庫 |
2 |
中川 | 3032252201 | 一般和書 | 一般開架 | | | 在庫 |
関連資料
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書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
請求記号 |
2893/01225/ |
書名 |
ハプスブルク帝国、最後の皇太子 激動の20世紀欧州を生き抜いたオットー大公の生涯 (朝日選書) |
著者名 |
エーリッヒ・ファイグル/著
関口宏道/監訳
北村佳子/訳
|
出版者 |
朝日新聞出版
|
出版年月 |
2016.4 |
ページ数 |
389,6p |
大きさ |
19cm |
シリーズ名 |
朝日選書 |
シリーズ巻次 |
944 |
ISBN |
978-4-02-263044-5 |
原書名 |
原タイトル:Otto von Habsburg 原著第2版の抄訳 |
分類 |
2893
|
個人件名 |
Habsburg‐Lothringen,Otto von
|
書誌種別 |
一般和書 |
内容紹介 |
命を狙われながらも祖国復興に奔走したハプスブルク帝国最後の皇太子、オットー・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン。その波乱万丈の生涯を、豊富な史料と本人へのインタビューで明らかにする。 |
書誌・年譜・年表 |
オットー・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン年譜:p380〜389 |
タイトルコード |
1001610003905 |
要旨 |
ハプスブルク帝国最後の皇太子、オットー・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンの波乱万丈の生涯を、豊富な史料と本人へのインタビューで明らかにする。1916年、4歳で皇太子となったオットーは、1938年、ナチの傀儡となることを拒んだためヒトラーから執拗に命を狙われる。帝国崩壊後、亡命の身で祖国復興に奔走。戦後処理では、ルーズベルトやチャーチルと連携してソ連に対抗し、オーストリアを西側にとどめた。戦後は欧州議会議員として欧州統合に尽力、ベルリンの壁崩壊につながる1989年8月19日のパン・ヨーロッパ・ピクニックを主催した。戦いに次ぐ戦いの生涯にみる、もう一つの欧州現代史。 |
目次 |
幼年時代 1912‐1929 青年時代 1929‐1940 アンシュルス(ドイツによるオーストリア併合) 1938 パリ 1939‐1940 挑戦し続けるオットー 1940 再びアメリカへ 1940‐1944 オーストリア再興のための戦い 中央ヨーロッパの命運 1943‐1944 モスクワ宣言発効 1944 ハンガリー 第二次世界大戦終結後 1945‐1991 東西冷戦終結 |
著者情報 |
ファイグル,エーリッヒ 1931年ウィーン生まれ。テレビドキュメンタリーの映像作家であり著述家でもある。ツィタ皇后とオットー大公に直接インタビューをし、また多くの資料を入手し、ハプスブルク家に関する著作やフィルムを数々作成。その優れた仕事に対して学問と芸術における栄誉賞を授与され、またウィーンの市民として金の栄誉賞も受けている。2007年死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 関口 宏道 1941年生まれ。文学修士。松蔭大学教授。専門はドイツ現代史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 北村 佳子 1974年早稲田大学第一文学部ドイツ文学専攻卒業。ゲーテ・インスティテュート東京上級クラス修了。ウェラ化粧品、コメルツ銀行東京支店などに勤務。ドイツ人役員や支店長の秘書として翻訳通訳業務を行う。2001年コメルツ銀行退職。現在はフリーランスとしてドイツ語の翻訳業務に携わる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
内容細目表:
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