蔵書情報
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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料番号 |
資料種別 |
配架場所 |
別置 |
帯出 |
状態 |
1 |
鶴舞 | 0234805612 | 一般和書 | 2階書庫 | | | 在庫 |
関連資料
この資料に関連する資料を 同じ著者 出版年 分類 件名 受賞などの切り口でご紹介します。
野上照代 ヴラジーミル・ヴァシーリエフ 笹井隆男
書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
請求記号 |
3692/00959/ |
書名 |
介護予防サービスインストラクション 統合医療に基づくアプローチ |
著者名 |
渥美和彦/監修
白川太郎/著
中島宏/著
|
出版者 |
産心社
|
出版年月 |
2005.12 |
ページ数 |
303p |
大きさ |
26cm |
ISBN |
4-87920-337-8 |
分類 |
36926
|
一般件名 |
介護予防
老年医学
|
書誌種別 |
一般和書 |
タイトルコード |
1009915066464 |
要旨 |
監督生命の窮地に追い込まれた世界の黒澤明が、再起を期してシベリアの密林に分け入り、想像を絶する困難を乗り越えて製作した映画『デルス・ウザーラ』。映画史の謎とも呼ぶべき撮影の全貌がついに明らかになる。誰がソ連での映画製作を実現させたのか。幻に終わった三船敏郎の主演の真相など、製作から40年の時を経て、次々と浮かび上がってくる新事実の数々。初めて公開される野上照代の詳細な撮影日誌をベースに、ソ連側助監督の記録と関係者へのインタビューで『デルス・ウザーラ』撮影の全日程を再現、誰も知らなかった黒澤組の映画撮影の現場が明かされる迫真のメイキング・ドキュメンタリー。未公開のシナリオ第一稿と幻の改訂稿の抄録に加え、40年ぶりに発掘されたシナリオ註付き「決定稿」を完全収録。 |
目次 |
1 特別寄稿・監督の中の魔物(池澤夏樹) 2 『デルス・ウザーラ』への道(栄光の映画人生 大ヒット伝説の真相 ほか) 3 『デルス・ウザーラ』撮影日誌(ソ連側の受け入れ準備 黒澤、モスクワに到着 ほか) 4 シベリアでの激闘を終えて(帰国第一声 待望の日本公開 ほか) 5 脚本で観る『デルス・ウザーラ』(第一稿梗概(1973年4月28日脱稿) 第二稿梗概(1973年9月14日脱稿) ほか) |
著者情報 |
野上 照代 1927年生まれ。戦後、出版社勤務の後、恩師・伊丹万作の遺児(伊丹十三)の世話を頼まれ京都へ移住、大映京都の記録係に。1949年『羅生門』に参加、黒澤明と出会う。以後東京へ戻り『白痴』(51)を除く全ての黒澤作品で記録、制作助手を勤める。かたわら随筆も手がけ、第5回読売「女性ヒューマン・ドキュメンタリー」大賞の優秀賞受賞作(84)が、後に山田洋次監督『母べえ』(02)として映画化された。2010年、映画功労者に贈られる川喜多賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) ヴァシーリエフ,ヴラジーミル ヴラジミール・ニコラエヴィッチ・ヴァシーリエフ。1939年生まれ。1955年よりモスフィルムに勤務。小道具係、助監督などを経て、自身の脚本で短編映画8本を監督。1973年当時はモスフィルム撮影所・第3制作グループに所属し、『デルス・ウザーラ』の撮影ではチーフ助監督を務める。その後、このときの記録をまとめたドキュメンタリーフィルム「デルス・ウザーラの受賞」「黒澤明 デルス・ウザーラを撮る」をモスフィルムで製作。1980年にはマクシーム・ムンズークを描いた「スクリーンへの道」を上梓した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 笹井 隆男 1956年生まれ。アートディレクター。映画宣伝、電器メーカーの広告製作プロダクションを経て、1989年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)パーマネント・コレクション収蔵を機にササイデザインを設立。映画・音楽を中心としたエンタテインメントのアートディレクションとデザイン、映像の製作、CIをはじめとするブランデイング全般を手がけている。長年にわたり黒澤明監督関連の映像商品や書籍などを多数製作。現在は日本映画データベースの製作と映画資料のアーカイヴ化に取り組む(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
内容細目表:
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