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所蔵数 1 在庫数 1 予約数 0

書誌情報サマリ

書名

大きな駄々っ子

著者名 大宅昌/著
出版者 文藝春秋
出版年月 1971
請求記号 N2891/00610/


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No. 所蔵館 資料番号 資料種別 配架場所 別置 帯出 状態
1 鶴舞0210105847一般和書2階書庫 在庫 

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ジョルジュ・ディディ=ユベルマン 江沢健一郎
70201

書誌詳細

この資料の書誌詳細情報です。

請求記号 N2891/00610/
書名 大きな駄々っ子
著者名 大宅昌/著
出版者 文藝春秋
出版年月 1971
ページ数 286p
大きさ 20cm
分類 2891
個人件名 大宅壮一
書誌種別 一般和書
タイトルコード 1009310078356

要旨 ルネッサンス期以降、学問としての美術史はいかなる知の言説として確立されたのか。ヴァザーリによる人文主義的美術史の発明から、パノフスキー的イコノロジーの成立にいたる美学の歴史を、表象の裂け目に現れるフロイト的「徴候」への眼差しを通じて批判的に解体する“美術史の脱構築”。バタイユやヴァールブルクを継承し、独自のイメージ人類学を実践する注目の美術史家の初期代表作。
目次 提起される問い
第1章 単なる実践の限界内における美術史
第2章 再生としての芸術そして理想的人間の不死性
第3章 単なる理性の限界内における美術史
第4章 裂け目としてのイメージそして受肉した神の死
補遺 細部という問題、面という問題
著者情報 ディディ=ユベルマン,ジョルジュ
 哲学者、美術史家。1953年6月13日生(サン=テティエンヌ,フランス)。リヨン大学で哲学の学士号を取得した後、美術史学の修士号を取得。その後、社会科学高等研究院(E.H.E.S.S.)で博士号を取得。1990年から社会科学高等研究院の助教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
江澤 健一郎
 1967年生。明治学院大学文学部フランス文学科卒業。立教大学大学院文学研究科博士課程後期課程満期退学。博士(文学)。現在、立教大学ほか非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


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