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名古屋の偉人伝 No.37 月谷初子(つきたにはつこ)の巻

ここがスゴイ!

「月谷初子(偉人ふりがな)」の写真 「布袋」を制作中の月谷初子(守山時代)
出典:『月の炎 女流陶芸の先駆・月谷初子』

日本における女流陶彫家の先駆けであり、同時代の名古屋地方陶彫家の第一人者。

こんな人生を送ってきました

明治2(1869)年、東京麻布生まれ。本名、乾はつ。
明治14(1881)年、12歳で洋風彫刻家小倉惣次郎に入門。明治29(1896)年の彫工会展に出品した「布袋」が銅牌を受賞。その後数々の展覧会で入賞するも、まもなく展覧会出品を自ら辞退。陶芸家真葛香山に陶彫の技法を学び、備前焼や九谷焼など各地の窯場を巡って腕を磨いた。
大正4(1915)年、愛知郡御器所村(現:昭和区山脇町)に移住し「緑陶房」を設立。後に自宅に「忍焼窯」を築き、本格的に陶彫や茶陶を焼くようになる。
出生した家の姓である「月谷」を気に入り、「月谷初子」や「乾月谷」の号名で活動。その作品は「月谷焼」や「忍焼」と呼ばれた。
昭和20(1945)年2月19日、入院先の八事の名古屋医療養老院にて76歳で死去。

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