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名古屋の偉人伝 No.36 伊勢門水(いせ もんすい)の巻

ここがスゴイ!

「伊勢門水(いせ もんすい)」の写真 出典:『明治の名古屋人』

旗幟商を営む傍ら諸芸を嗜み、特に狂言師として高い名声を得る。絵画や狂歌、書でも活躍。風変わりな奇行でも知られ、同好の士が集まった「御洒落会(おしゃらくかい)」の中心人物でもあった。

こんな人生を送ってきました

安政6(1859)年、名古屋城下末広町に生まれる。伊勢門水は筆名で、本名は水野宇右衛門(うえもん)。幼年時代から狂言を学び、名古屋の狂言師として中心的な役割を果たす存在となる。また独学でおさめた狂言画が高く評価される。
明治20(1887)年、大口六兵衛とともに「愛知洒落部」(後に「御洒落会」)を結成。燃えた提灯の供養と称した臨時提魂祭、80畳の大広間で人間をコマにして行った人間万事飛廻り双六など、真面目に馬鹿げたことをするのを心から楽しんだ。
祭好きで、明治43(1910)年に自家製の限定本として自費出版(昭和55年に復刻版を出版)した『名古屋祭』は、名古屋とその近郊の祭について克明に調査した名著として名高い。
昭和6(1931)年秋、八事山中で「リーモー」という「御洒落会が特殊の踊」を舞う中激しい雨に遭いずぶ濡れとなり、これが原因で病床に伏す。昭和7(1932)年1月15日、末広町神楽団の好意による祭囃子を聞きつつ、生涯を閉じた。

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