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名古屋の偉人伝 No.28 田中均一郎(たなかきんいちろう)の巻

ここがスゴイ!

田中氏の肖像画の写真 南図書館にある
田中氏の肖像画

「名古屋市南部地域の勤労青少年のための文化施設・憩いの場としての図書館」の提供を願い、土地と建設した建物を寄付した、南図書館の生みの親。

こんな人生を送ってきました

1904(明治37)年、刈谷市に生まれる。1921(大正10)年享栄商業高校(現享栄高校)を卒業し浅野木工所に就職。1925(大正14)年に株式会社太平製作所を創立し、1943(昭和18)年に同社社長に就任。東海地域の実業家として海外を視察した際の様子は『産業人の綴る世界百信』『南巡の旅子』などの著作に書かれている。
1963(昭和38)年、名古屋市南部地域の勤労青少年の教養の向上と憩いの場の提供を願い、ホール兼備の図書館として土地と建物を寄付することを申し出る。翌年、完成した建物を名古屋市に寄付。1964(昭和39)年5月、名古屋市4館目の図書館として南図書館開館。
「蛇々子」の俳号で活動する俳人でもあり、市民に俳句に親しんでもらおうとの趣旨のもと、1965年(昭和40)年に南図書館に笠寺俳句文庫を開設。ホトトギス同人による指導のもと「笠寺俳句会」が行われ、1966(昭和41)年に俳句誌「笠寺」を創刊、現在も活動を続けている。南図書館入口には「子等(ら)はみな育ちゆくなり物芽また 蛇々子」と刻まれた句碑が立っている。
1979(昭和54)年、死去。

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