ここがスゴイ!
こんな人生を送ってきました
後藤鍬五郎は明治25(1892)年に現在のあま市で生まれ、昭和51(1976)年に亡くなりました。13歳から名古屋市の山田工芸所に奉公に出て、親方の山田光吉から仏像などの作り方を教わります。この時代、彫刻の新素材として登場したのがコンクリートでした。安くて手に入れやすく、火事にも強いコンクリートは全国的に広まっていき、鍬五郎もこの新素材を使って数々の造形物を作り上げました。
18歳のとき、名古屋教育水族館(実業家の山田才吉が私財を投じて建設。残念ながら現存せず)の竜宮門を製作。その後28歳で後藤工業所を開設し、道徳観音山(スケート場やプールを備えた娯楽施設で、なんと山自体もコンクリート製!これも残念ながら現存せず)の観音像を手がけます。
そして昭和2(1927)年、35歳のときに手がけたのが、南区の道徳公園にあるクジラ池噴水でした。鍬五郎は実際に動物を見て研究しながら作ったと言われています。
クジラ池噴水は、昔この地域が海だったことの象徴として今でも近隣の住民に親しまれ、令和3(2021)年7月には国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。
その他、刈宿の大仏(西尾市)や聚楽園大仏(東海市)なども鍬五郎の手によるものです。
もっとくわしく知りたいあなたに
- 『近代史を飾るコンクリート製彫刻・建造物職人後藤鍬五郎』加納誠/著 後藤鉦 2004
- 『道徳探検昔と今』加納誠/著 加納誠 2006
- 『南区制100周年記念誌』南区制100周年記念事業実行委員会/編集 南区制100周年記念事業実行委員会 2008
- 『登録有形文化財(建造物)の登録について』(愛知県HP 外部リンク)最終確認日:2021年7月26日
pdfダウンロード
- 最近の「発見!名古屋の偉人伝」は名古屋なんでも調査団へ
- これまでの「発見!名古屋の偉人伝」一覧は発見!名古屋の偉人伝一覧へ
- PDF版の一覧は発見!名古屋の偉人伝一覧(PDF版)へどうぞ
