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名古屋の偉人伝 No.26 加藤図書助順盛(かとうずしょのすけのぶもり)の巻

ここがスゴイ!

順盛屋敷跡の看板の写真 順盛の屋敷跡に立つ看板
※標札は令和3年10月に撤去されました

戦国時代の熱田の豪族で、旧地名「図書(ずしょ)」の由来にもなった人。
信長や家康など有名人とも仲良しでした!

こんな人生を送ってきました

順盛は永正11(1514)年に生まれ、天正16(1588)年に亡くなりました。加藤家は熱田の豪族で、織田信秀(信長の父)の保護によってこの地の実権を握っていたそうです。順盛の父の代で加藤家は東西に分かれ、順盛は東加藤と呼ばれていました。
順盛のすごいところは、歴史上の有名人と関わりが深かったところ。まず一人目は織田信長。桶狭間の戦いのとき、戦勝祈念のため熱田神宮に立ち寄った信長を、順盛ら東西加藤家が出迎えたところ、信長は「今日の戦にかたふ(加藤と勝とうをかけた)」と言ったとか(まさかのダジャレ!)。順盛は信長の命に従い、戦いをサポートしました。
もう一人は徳川家康。幼少の家康(竹千代と呼ばれていました)が織田家の人質として連れてこられたとき、幽閉場所となったのが順盛の屋敷でした。順盛は竹千代のことを手厚く養ったようで、順盛の娘が作ってなぐさみに与えたとされる雛人形が今も残っています。人質時代から20数年後、順盛が家康に陣中見舞を送ったとき、家康はきちんと返事を書いています。幼少期によくしてもらった恩を忘れていなかったのかもしれません。
順盛の屋敷があった辺りは、かつては人名をそのままとって「図書」という地名だったそうです。

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