ここがスゴイ!
こんな人生を送ってきました
順盛は永正11(1514)年に生まれ、天正16(1588)年に亡くなりました。加藤家は熱田の豪族で、織田信秀(信長の父)の保護によってこの地の実権を握っていたそうです。順盛の父の代で加藤家は東西に分かれ、順盛は東加藤と呼ばれていました。
順盛のすごいところは、歴史上の有名人と関わりが深かったところ。まず一人目は織田信長。桶狭間の戦いのとき、戦勝祈念のため熱田神宮に立ち寄った信長を、順盛ら東西加藤家が出迎えたところ、信長は「今日の戦にかたふ(加藤と勝とうをかけた)」と言ったとか(まさかのダジャレ!)。順盛は信長の命に従い、戦いをサポートしました。
もう一人は徳川家康。幼少の家康(竹千代と呼ばれていました)が織田家の人質として連れてこられたとき、幽閉場所となったのが順盛の屋敷でした。順盛は竹千代のことを手厚く養ったようで、順盛の娘が作ってなぐさみに与えたとされる雛人形が今も残っています。人質時代から20数年後、順盛が家康に陣中見舞を送ったとき、家康はきちんと返事を書いています。幼少期によくしてもらった恩を忘れていなかったのかもしれません。
順盛の屋敷があった辺りは、かつては人名をそのままとって「図書」という地名だったそうです。
もっとくわしく知りたいあなたに
- 『新修名古屋市史 第2巻』新修名古屋市史編集委員会/編集 名古屋市 1998
- 『名古屋市熱田区誌』熱田区制五十周年記念事業実行委員会 1987
- 『熱田風土記 巻8 [修正版]』池田長三郎/編 久知会 1982
- 『新修徳川家康文書の研究 オンデマンド版』徳川義宣/著 徳川黎明会 2006
- 「中日新聞」2021年3月16日朝刊19頁
- 『尾張藩の御秘本『張州雑志』』名古屋市蓬左文庫/編集 名古屋市蓬左文庫 2021
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