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名古屋の偉人伝 No.24 小寺玉晁(こでらぎょくちょう)の巻

ここがスゴイ!

見世物雑志の画像 目玉を「ひょゐ」と出す人『見世物雑志』巻之3より(早稲田大学図書館所蔵)

近世後期の名古屋芸能史を知る上で欠かせない人物。玉晁がつぶさに書き残した見世物や寄席、芝居などの記録は、当時の様子を伝えてくれる大変貴重な資料です。

こんな人生を送ってきました

玉晁は寛政12(1800)年5月18日に名古屋で生まれました。一説には尾張藩の臣下だった人物の庶子だったともいわれ、暮らしは決して裕福ではなかったようです。貸本屋でのアルバイト等で生計を立てながら、知的好奇心のおもむくまま、名古屋の文化人と交流し(特に『感興漫筆』の著者・細野要斎とは大の仲良しでした)、見世物や芝居などを楽しみました。
玉晁はそうした体験を膨大な絵と文で後世に残しました。その著作は150種以上にのぼります。中でも『見世物雑志』には、珍しい生き物や芸を披露する人間の様子などがユーモラスに描かれており、研究資料としてはもちろん、単に面白い読み物としても楽しめます。
 晩年には「なりふりかまわぬ好々爺」だったという玉晁。お酒が好きで、髪はボサボサ、人に接するときはいつもニコニコしていたそうです。玉晁の記した『人物図会』という本には、「ふつう」とはちょっと違う生き方をしている人たちが愛情を持って描かれており、そうしたことからも玉晁の人柄が伝わってくるようです。
明治11(1878)年9月26日に数え年79歳で没した玉晁は、存命中はほとんど無名の存在でした。著作のひとつがたまたま有識者の目に触れたことがきっかけで、その名が全国に知れ渡ったのは、実に死後50年以上たってからでした。

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