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名古屋の偉人伝 No.21 矢田績(やだせき)の巻

ここがスゴイ!

矢田績の写真 『明治の名古屋人』より

福沢諭吉門下として明治の経済界で活躍した。引退後は名古屋に居を移し、名古屋公衆図書館(現西図書館)を作った。

こんな人生を送ってきました

万延元(1860)年8月9日、紀州藩和歌山の医者、谷井清雄の二男として生まれる。
明治11(1878)年、矢田家の養子に入り、翌12年、慶應義塾へ入学。福沢諭吉の薫陶を受け、三田演説会で頭角を現す。明治15(1882)年、諭吉が創刊した新聞「東京時事新報」に入り執筆活動を始める。明治17(1884)年、主筆として「神戸又新日報」に招かれる。この新聞は政治よりも経済や産業に重きをおいたものであった。その中で矢田の書いた社説が兵庫県大書記官牧野伸顕の目にとまり、勧業課長として県庁に招かれる。その後、山陽鉄道、神戸電燈などを経て、明治28(1895)年、三井銀行に入行。京都や横浜などの支店を異動し業績を上げ、明治38(1905)年、名古屋支店に異動。名古屋支店にいた時に、のちに電力王と呼ばれる福沢桃介を名古屋に呼んだ。銀行を引退後、発展の見込みありと見定め名古屋を永住の地として選び、人材の育成に励み私財を投じて名古屋公衆図書館(現在の西図書館の前身)を作った。

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