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名古屋の偉人伝 No.15 鈴木政吉(すずきまさきち)の巻

ここがスゴイ!

「鈴木政吉(すずきまさきち)」の写真 『中京名鑑』より

名古屋で初めて本格的なバイオリンの製作に成功。国産バイオリン製造の草分けとなる。

こんな人生を送ってきました

安政6(1859)年11月18日、尾張藩士鈴木正春の次男として生まれる。11歳のとき名古屋洋学校に入り、学費免除の特待生に選ばれるが、洋学校が県に移管されて免除がなくなると学費を工面できなくなり退学した。浅草での塗物商の奉公を経て、父の職業を継ぎ三味線職人となった。明治20(1887)年、恒川鐐之(つねかわりょうの)助(すけ)の元で唱歌の勉強を始める。門人仲間の甘利(あまり)鉄(てつ)吉(きち)が横浜で買ってきたバイオリンとの出会いがきっかけで製作に取り組み、第一号を完成させる。
明治22(1889)年上京、東京音楽学校教授ディットリヒに自作バイオリンを試奏してもらい認められる。明治33(1900)年、東門前町に工場を建て本格的なバイオリン製造を開始する。数々の博覧会に出品し好成績をあげ、明治43年(1910)日英博覧会で名誉大賞を受賞後、海外に販路を広げる。大正15(1926)年、息子の梅(うめ)雄(お)・鎮(しん)一(いち)がアインシュタインを訪ねて政吉のバイオリンをプレゼントし、礼状で賞賛される。亡くなる直前まで楽器の研究を続け、昭和19(1944)年1月31日、風邪をこじらせたのが原因で86歳の生涯を閉じた。

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