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名古屋の偉人伝 No.9 鈴木 禎次(すずき ていじ)の巻

ここがスゴイ!

「鈴木 禎次(すずき ていじ)」の写真 鈴木 禎次
『明治の名古屋人』より

名古屋の近代建築と言えばこの人。その功績の大きさから「名古屋をつくった建築家」と言われている。

こんな人生を送ってきました

明治3(1870)年、静岡県に生まれる。
帝国大学造家学科を卒業後、欧州留学を経て、明治39(1906)年、名古屋工業学校建築科に教授として着任。以後、教鞭をとる傍ら、名古屋で最初の鉄骨鉄筋コンクリート造の建物(共同火災保険名古屋支店)、高層ビル(北浜銀行名古屋支店)、百貨店(いとう呉服店、現松坂屋)などを次々と設計していった。また、鶴舞公園の奏楽堂や現在の西図書館の前身である名古屋公衆図書館も設計している。大正11(1922)年、53歳で退官すると、名古屋における建築事務所の草分けといわれる鈴木建築設計事務所を開設し、より建築活動に専念していく。
昭和16(1941)年に72歳で亡くなるまで、名古屋市内だけで44棟もの建築物を手がけ、生涯現役の建築家であった。

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