ここがスゴイ!
こんな人生を送ってきました
弘化4(1847)年3月22日生から明治39(1906)年9月18日没。
名古屋門前町(現在の中区門前町)の醴(あまざけ)屋「三国一」に生まれる。三国一とは富士山のこと、よって雅号は不二廼家(ふじのや)高根(たかね)という。少年時から近所の芝居小屋で遊び、俳諧に熱中しつつ、狂言作家になることを夢見ていた。
長じて『愛知日報』、『青柳(せいりゅう)新紙(しんし)』、『愛知日々新聞』、『名古屋絵入新聞』等の新聞に関わり大活躍。また、滑稽雑誌『転(てん)愚(ぐ)叢談(そうだん)』の発行や『書抜(かきぬき)大福帳』の編集も行い、自作の脚本・小説・川柳等を掲載。さらに、情歌の結社である掬(きく)水社(すいしゃ)を率いたり、伊勢門水らと共に同好の士の集まる洒落部(しゃらくぶ)(後の御洒落会(おしゃらくかい))を起こしたりして芸能の発展にも寄与した。
もっとくわしく知りたいあなたに
- 「名古屋の名物男 大口高根翁」『日本及日本人』228-230号 大橋青波/著
- 『名古屋芸能史 後編』尾崎久彌/著 名古屋市教育委員会 1971 p.42-50
- 『名古屋明治文学史』名古屋近代文学史研究会/編 名古屋市教育委員会 1975 p.20-36
- 『伊勢門水翁遺稿 御洒落伝』伊勢門水/著 御酒落伝刊行会 1960
pdfダウンロード
- 最近の「発見!名古屋の偉人伝」は名古屋なんでも調査団へ
- これまでの「発見!名古屋の偉人伝」一覧は発見!名古屋の偉人伝一覧へ
- PDF版の一覧は発見!名古屋の偉人伝一覧(PDF版)へどうぞ
