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調べ物案内

名古屋の偉人伝 No.8 大口 六兵衛(おおぐち ろくべえ)の巻

ここがスゴイ!

「大口 六兵衛(おおぐち ろくべえ)」の写真 大口 六兵衛
(当館所蔵写真)

名古屋におけるジャーナリストの草分け!
劇作家でもあり情歌(じょうか)(=都々逸(どどいつ))宗匠でもあった多芸多才な芸能通!!

こんな人生を送ってきました

弘化4(1847)年3月22日生から明治39(1906)年9月18日没。
名古屋門前町(現在の中区門前町)の醴(あまざけ)屋「三国一」に生まれる。三国一とは富士山のこと、よって雅号は不二廼家(ふじのや)高根(たかね)という。少年時から近所の芝居小屋で遊び、俳諧に熱中しつつ、狂言作家になることを夢見ていた。
長じて『愛知日報』、『青柳(せいりゅう)新紙(しんし)』、『愛知日々新聞』、『名古屋絵入新聞』等の新聞に関わり大活躍。また、滑稽雑誌『転(てん)愚(ぐ)叢談(そうだん)』の発行や『書抜(かきぬき)大福帳』の編集も行い、自作の脚本・小説・川柳等を掲載。さらに、情歌の結社である掬(きく)水社(すいしゃ)を率いたり、伊勢門水らと共に同好の士の集まる洒落部(しゃらくぶ)(後の御洒落会(おしゃらくかい))を起こしたりして芸能の発展にも寄与した。

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