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名古屋の偉人伝 No.7 林 市兵衛(はやし いちべえ)の巻

ここがスゴイ!

「林 市兵衛(はやし いちべえ)」の写真 林市兵衛
『名古屋時計業界沿革史』より

明治時代、外国からの輸入品しかなかったボンボン時計と呼ばれる柱時計の国産化に成功した。

こんな人生を送ってきました

安政6(1859)年、名古屋本町(現在の中区錦三丁目)の時計商の子として生まれる。家業ではアメリカ製のボンボン時計(ボンボンと音が鳴って時刻を知らせる柱時計)の輸入を手がけていたが、その人気ぶりを見て、自分で製造することを決意した。
まだ日本には、製造に必要な技術も機械もなかったが、20歳であった明治13(1880)年、まず腕利きの飾り職人を雇い、柱時計製作のための機械を作るところから始める。店にあったアメリカ製の時計を手本に、試行錯誤の日々を続け、ようやくボンボン時計の製造に成功したのは、明治19(1886)年、26歳の時であった。翌年、「時盛社」という会社を設立すると、名古屋市内で本格的な量産を開始。事業が軌道に乗るとその後、海外への輸出を手がけるまでになった。
時盛社の事業の成功を受け、当時の名古屋にはたくさんの時計製造会社ができ、日本の時計産業の中心地であったといわれるが、その基礎を作ったのが林市兵衛だったのだ。

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