ここがスゴイ!
こんな人生を送ってきました
安政6(1859)年、名古屋本町(現在の中区錦三丁目)の時計商の子として生まれる。家業ではアメリカ製のボンボン時計(ボンボンと音が鳴って時刻を知らせる柱時計)の輸入を手がけていたが、その人気ぶりを見て、自分で製造することを決意した。
まだ日本には、製造に必要な技術も機械もなかったが、20歳であった明治13(1880)年、まず腕利きの飾り職人を雇い、柱時計製作のための機械を作るところから始める。店にあったアメリカ製の時計を手本に、試行錯誤の日々を続け、ようやくボンボン時計の製造に成功したのは、明治19(1886)年、26歳の時であった。翌年、「時盛社」という会社を設立すると、名古屋市内で本格的な量産を開始。事業が軌道に乗るとその後、海外への輸出を手がけるまでになった。
時盛社の事業の成功を受け、当時の名古屋にはたくさんの時計製造会社ができ、日本の時計産業の中心地であったといわれるが、その基礎を作ったのが林市兵衛だったのだ。
もっとくわしく知りたいあなたに
- 『名古屋時計業界沿革史』吉田浅一/編纂 商工界 1953
- 『明治の名古屋人』名古屋市教育委員会/編 名古屋市教育委員会 1969
- 『明治・名古屋の顔』服部鉦太郎/著 六法出版社 1973
- 『人の命を救う道』愛知県小中学校長会/編集 愛知県教育振興会 2015
- 『愛知に輝く人々 5』愛知県小中学校長会/編 愛知県教育振興会 1984
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