ここがスゴイ!
こんな人生を送ってきました
嘉永5(1852)年、美濃国厚見郡富茂登村に生まれる。江戸で板前修業をした後、瀬戸・大須・熱田で料理店を営んだ。明治14(1881)年、「喜多福」という食料品店を開店。大根のみりん粕漬けを考案して守口漬と名付け、明治15(1882)年には看板商品として売り出した。明治17(1884)年には愛知県下で初めて、缶詰を製造販売した。
明治20(1887)年、新聞「中京新報」を創刊。明治29(1896)年、東陽町(現在の中区千代田1丁目のあたり)に東陽館という大規模な集会施設を建設した。東陽館は、396畳の大広間のほか料理店・売店・遊技場などを備え、庭ではボートを楽しむことができた。
明治24(1891)年、東築地5号地(現在の港区東築地)に名古屋教育水族館を建設した。最新設備を備えた洋風の建物で、魚の回遊をパノラマ式で見ることができた。
そのほかにも、中央卸売市場の開設・名古屋瓦斯株式会社の運営など、実業家として幅広く活躍した。昭和12(1937)年1月31日、85歳で生涯を終えた。
もっとくわしく知りたいあなたに
- 『不屈の男 名古屋財界の怪物山田才吉』藤澤茂弘/著 ブックショップマイタウン 2013
- 『明治の名古屋人』名古屋市教育委員会/編 名古屋市教育委員会 1969
- 『明治・名古屋の顔』服部鉦太郎/著 六法出版社 1973
- 『道徳探検昔と今』加納誠/著 [加納誠] 2006
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