ページの先頭です。
本文へジャンプする。
ここから本文です。

調べ物案内

名古屋の偉人伝 No.6 山田才吉(やまださいきち)の巻

ここがスゴイ!

「東陽館」の写真 東陽館
(『名古屋市史資料写真集』より)

大根のみりん粕漬け(守口漬)を考案・愛知県で初めて缶詰を製造販売・名古屋教育水族館設立など実業家として幅広く活躍。

こんな人生を送ってきました

嘉永5(1852)年、美濃国厚見郡富茂登村に生まれる。江戸で板前修業をした後、瀬戸・大須・熱田で料理店を営んだ。明治14(1881)年、「喜多福」という食料品店を開店。大根のみりん粕漬けを考案して守口漬と名付け、明治15(1882)年には看板商品として売り出した。明治17(1884)年には愛知県下で初めて、缶詰を製造販売した。
明治20(1887)年、新聞「中京新報」を創刊。明治29(1896)年、東陽町(現在の中区千代田1丁目のあたり)に東陽館という大規模な集会施設を建設した。東陽館は、396畳の大広間のほか料理店・売店・遊技場などを備え、庭ではボートを楽しむことができた。
明治24(1891)年、東築地5号地(現在の港区東築地)に名古屋教育水族館を建設した。最新設備を備えた洋風の建物で、魚の回遊をパノラマ式で見ることができた。
そのほかにも、中央卸売市場の開設・名古屋瓦斯株式会社の運営など、実業家として幅広く活躍した。昭和12(1937)年1月31日、85歳で生涯を終えた。

もっとくわしく知りたいあなたに

pdfダウンロード

get adobe reader
PDF形式のファイルを閲覧するにはAdobe Reader(無料)が必要です。
※AcrobatReader5.0以上を推奨しています。

▲ページトップへ