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名古屋の偉人伝 No.4 下里知足(しもさとちそく)の巻

ここがスゴイ!

千鳥塚の写真 千鳥塚(日本最古の芭蕉の句碑と伝承される)。裏面に知足の名前がある。

井原西鶴や芭蕉など多くの俳人と親しく交流した、鳴海俳壇の中心人物。

こんな人生を送ってきました

寛永17(1640)年生から宝永元(1704)年4月13日没。
江戸時代前期の俳人、尾張鳴海宿の庄屋、鳴海下里家の二代目当主。若い時を桑名の伯父の家で過ごす。鉄の売買や酒造に取り組み、下里家(のち下郷家)繁栄の基礎を築いた。当時の俳人の動静をはじめ、政治、経済や日常の生活その他の克明な記録を残している。
20歳前後から俳諧に熱心に取り組み、吉田友次撰『阿波手集(あわでしゅう)』等に入集。延宝期(1673から1681)には井原西鶴らに親しみ、知足あて西鶴書簡4通が現存している。
鳴海の俳人たちが詠んだ俳諧について、東西の一流俳人たちに批評をもらい、『尾陽鳴海俳諧喚続(びようなるみはいかいよびつぎしゅう)』を編集した。貞享2年4月、『野ざらし紀行』帰途の芭蕉を迎えて俳諧を詠む。以降芭蕉が上方を往復する度にその指導を得て、鳴海蕉門の中心人物となった。
晩年の知足の志を継ぎ、息子の蝶羽(ちょうう)が俳諧撰集『千鳥掛(ちどりがけ)』を刊行。蕉門系を中心に各地の有力俳人を網羅した。

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