ここがスゴイ!
こんな人生を送ってきました
奥村得義は寛政5(1793)年、尾張藩士奥村仁兵衛の長男として誕生。尾張藩士として「掃除中間頭並(そうじちゅうかんがしらなみ)」の役職についていた文政4(1821)年、図面の作成や絵を描く技量、有能な働きぶりを評価され、名古屋城に関する古い記録の調査と編纂を実施せよとの藩命を受けます。
以来、得義は数百冊をこえる資料を収集し執筆にとりかかりますが、全体のほぼ半分にあたる『金城温古録』を藩に納入した後、文久2(1862)年、未完の草稿を残してこの世を去ることになります。残された仕事はそれまで助手を務めてきた養子の定(さだめ)に受け継がれました。
定は、明治維新による中断を挟んだものの、得義が最初に藩命を受けてから約80年後にあたる明治35(1902)年、『金城温古録』全10編64巻を完成させ、尾張徳川家に納入しました。その後、明治41(1908)年から名古屋市史編纂部に勤務する中で数多くの奥村家の蔵書を提供し、『名古屋市史』の編纂に貢献しました。
もっとくわしく知りたいあなたに
- 『名古屋城を記録せよ! 平成20年度名古屋市博物館企画展』名古屋市博物館/編集 名古屋市博物館 2008
- 『名古屋叢書 続編』第13巻・第14巻・第15巻・第16巻 名古屋市教育委員会/編 名古屋市教育委員会 1967
- 『名古屋叢書三編 第9巻』太田正弘/編輯 補訂版 太田正弘 2005
- 『尾張著述家綜覧』名古屋市博物館/編集 名古屋市博物館 2008 ※鶴舞中央図書館では、明治42(1909)年に一部改定を加えて名古屋市役所の市史編纂室に納められた『金城温古録』を含む「名古屋市史編纂資料」の原本を所蔵しています。
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