ここがスゴイ!
こんな人生を送ってきました
享和3(1803)年1月27日生から明治34(1901)年1月20日没。
名古屋呉服町(現在の中区丸の内三丁目)に生まれる。医学を父・西山玄道から、本草学を水谷豊文に、蘭学を吉雄常三らに学ぶ。
24歳のときシーボルトに出会い、27歳でツュンベリー著『フロラ・ヤポニカ』を訳述した『泰西本草名疏(たいせいほんぞうめいそ)』を刊行、この中で「雄蘂」などの用語を初めて使用しリンネの植物分類法を紹介した。
45歳で尾張藩医となり活躍。その後、文部省や小石川植物園、東京大学でも登用され、86歳のとき理学博士の称号を受けた。
もっとくわしく知りたいあなたに
- 『伊藤圭介の生涯とその業績』名古屋市東山植物園 2003
- 『伊藤圭介』杉本勲/著 吉川弘文館 1988
- 「泰西本草名疏」(『名古屋叢書三編19』)名古屋市蓬左文庫/編 名古屋市教育委員会 1982
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