ここがスゴイ!
こんな人生を送ってきました
天保3(1832)年2月25日から明治3(1870)年2月20日
今の名古屋市中区丸の内で生まれる。
3歳で尾張藩主の前で揮毫(きごう 筆で書をしたためること)した、4歳で笠寺観音の額を書いた、などの話が伝わっている。
25歳で江戸に出て、開成所教授を務めるなど活躍。日本で最初の雑誌『西洋雑誌』を慶応3(1867)年に発行。同じ年、日本で最初の国語の教科書『うひまなひ』を刊行。さらに翌年、『中外新聞』を発行した。他にも日本最初の算数の本、写真解説書などを執筆した各分野の「創始者」。
39歳の若さで亡くなった。
もっとくわしく知りたいあなたに
- 『明治の名古屋人』名古屋市教育委員会/編 名古屋市教育委員会 1969
- 『柳河春三展を終えて』中村新三著 1986
- 『郷土偉人展覧会図録』郷土偉人展覧会/編纂 郷土偉人展覧会 1934
- 『中外新聞(合本)』会訳社 1号から45号(慶応4年2月24日から同6月8日)
※鶴舞中央図書館では新聞原紙を所蔵しています。(10号のみ欠)
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