ぞうしょじょうほう
この資料の蔵書に関する統計情報です。現在の所蔵数 在庫数 予約数などを確認できます。
本のかず |
22 |
ざいこのかず |
20 |
よやくのかず |
0 |
しょしじょうほうサマリ
本のだいめい |
ぼくは満員電車で原爆を浴びた 11歳の少年が生きぬいたヒロシマ
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書いた人の名前 |
米沢鐡志/語り
由井りょう子/文
|
しゅっぱんしゃ |
小学館
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しゅっぱんねんげつ |
2013.7 |
本のきごう |
916/01046/ |
本のばしょ
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
としょかん |
本のばんごう |
本のしゅるい |
本のばしょ |
くわしいばしょ |
せいげん |
じょうたい |
1 |
鶴舞 | 0236266359 | じどう図書 | じどう開架 | | | 在庫 |
2 |
西 | 2132075041 | じどう図書 | じどう開架 | | | 在庫 |
3 |
熱田 | 2231926359 | じどう図書 | じどう開架 | | | 在庫 |
4 |
南 | 2331849048 | じどう図書 | じどう開架 | | | 在庫 |
5 |
東 | 2432025134 | じどう図書 | じどう開架 | | | 在庫 |
6 |
中村 | 2531897169 | じどう図書 | じどう開架 | 高学年 | | 在庫 |
7 |
港 | 2631988504 | じどう図書 | じどう開架 | 高学年 | | 在庫 |
8 |
北 | 2731908758 | じどう図書 | じどう開架 | | | 在庫 |
9 |
千種 | 2831780552 | じどう図書 | じどう開架 | | | 在庫 |
10 |
瑞穂 | 2931926139 | じどう図書 | じどう開架 | | | 貸出中 |
11 |
中川 | 3031931573 | じどう図書 | じどう開架 | | | 在庫 |
12 |
守山 | 3132115308 | じどう図書 | じどう開架 | 高学年 | | 在庫 |
13 |
緑 | 3232003818 | じどう図書 | じどう開架 | | | 在庫 |
14 |
名東 | 3332124845 | じどう図書 | じどう開架 | | | 在庫 |
15 |
天白 | 3431947872 | じどう図書 | じどう開架 | 高学年 | | 在庫 |
16 |
山田 | 4130539440 | じどう図書 | じどう開架 | | | 在庫 |
17 |
南陽 | 4230644264 | じどう図書 | じどう開架 | | | 在庫 |
18 |
楠 | 4331169229 | じどう図書 | じどう開架 | | | 在庫 |
19 |
富田 | 4431177551 | じどう図書 | 書庫 | | | 在庫 |
20 |
富田 | 4431132242 | じどう図書 | じどう開架 | | | 在庫 |
21 |
志段味 | 4530587908 | じどう図書 | じどう開架 | | | 在庫 |
22 |
徳重 | 4630673111 | じどう図書 | じどう開架 | | | 貸出中 |
かんれんしりょう
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しょししょうさい
この資料の書誌詳細情報です。
本のきごう |
916/01046/ |
本のだいめい |
ぼくは満員電車で原爆を浴びた 11歳の少年が生きぬいたヒロシマ |
書いた人の名前 |
米沢鐡志/語り
由井りょう子/文
|
しゅっぱんしゃ |
小学館
|
しゅっぱんねんげつ |
2013.7 |
ページすう |
125p |
おおきさ |
20cm |
ISBN |
978-4-09-227166-1 |
ぶんるい |
916
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いっぱんけんめい |
原子爆弾-被害
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本のしゅるい |
じどう図書 |
ないようしょうかい |
1945年8月6日、広島に原爆が落とされた。爆心地から750メートルの満員電車の中で被爆し、奇跡的に生き残った当時11歳の著者が、8月6日の自身の体験と、その後に起こったことを語る。 |
タイトルコード |
1001310043878 |
ししょのおすすめ |
広島に原爆が落とされた時、小学5年生だった米澤(よねざわ)さんは、爆心地の近くで、満員電車に乗っていました。その中にいたおかげか、米澤さんは放射能(ほうしゃのう)の後遺症(こういしょう)に苦しみながらも、生きぬくことができました。戦争の愚(おろ)かさを伝えるため、その時の体験を語ります。(高学年から)『こんなほんあんなほん 2014年度版小学生向き』より |
ようし |
ぼくの経験した八月六日は、決してぼくだけの特別な経験ではなくて、多くの無名の市民が絵に描いたり、文章に書いたりしていることがわかりました。それがまた、ぼくの見た光景と変わらないのです。共通する悲しさや苦しさがたくさんあるのです。生き残ったぼくは、あの日、広島で体験したことを語り続けなければならない、そして、本にして残しておき、これから先も多くの人に読んでもらいたいと思ったのです。(「あとがき」より) |
もくじ |
学童疎開 家族で山の集落へ 八月六日 北へ 飲んだらあかん 生き地獄 救援列車 かみがぬけた 母の死 祖父の往診 妹の死 うわさ いとこのこと 朝鮮人の友だち 生き残ったぼく |
ちょしゃじょうほう |
米澤 鐵志 1934年生まれ。41年広島市立神崎国民学校入学。同年12月太平洋戦争開始。45年8月広島にて爆心から750メートルで原子爆弾被爆。同年母親と妹が死亡。自分自身も頭髪が全部抜け、高熱が2週間続いたが奇跡的に回復。55年第1回原水爆禁止世界大会に構成詩で参加。第1回原水爆禁止平和音楽祭に合唱で参加。以降50年間、毎年原水爆禁止世界大会に参加。58年立命館大学入学。61年京都南病院に就職。69年〜94年まで(財)高雄病院事務長。85年宇治平和の会設立に参加。75年頃から、小学校、大学、病院、各種集会などで被爆体験講話を行っている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 由井 りょう子 1947年生まれ。大学在学中から記者として、主に女性誌の仕事にかかわる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
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