ぞうしょじょうほう
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しょしじょうほうサマリ
本のだいめい |
昭和二十年 第1部13 さつま芋の恩恵
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書いた人の名前 |
鳥居民/著
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しゅっぱんしゃ |
草思社
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しゅっぱんねんげつ |
2012.6 |
本のきごう |
N2107-6/00448/1-13 |
本のばしょ
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
としょかん |
本のばんごう |
本のしゅるい |
本のばしょ |
くわしいばしょ |
せいげん |
じょうたい |
1 |
鶴舞 | 0236004412 | 一般和書 | 2階開架 | 人文・社会 | | 在庫 |
2 |
中村 | 2531811756 | 一般和書 | 一般開架 | | | 在庫 |
3 |
港 | 2631900962 | 一般和書 | 一般開架 | | | 在庫 |
4 |
千種 | 2831689829 | 一般和書 | 一般開架 | | | 在庫 |
5 |
中川 | 3031841749 | 一般和書 | 一般開架 | | | 在庫 |
6 |
緑 | 3231914148 | 一般和書 | 書庫 | | | 在庫 |
7 |
名東 | 3332016108 | 一般和書 | 一般開架 | | | 在庫 |
8 |
天白 | 3431847379 | 一般和書 | 一般開架 | | | 在庫 |
かんれんしりょう
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太平洋戦争(1941〜1945) 日本-歴史-昭和時代(1945年以後)
しょししょうさい
この資料の書誌詳細情報です。
本のきごう |
N2107-6/00448/1-13 |
本のだいめい |
昭和二十年 第1部13 さつま芋の恩恵 |
書いた人の名前 |
鳥居民/著
|
しゅっぱんしゃ |
草思社
|
しゅっぱんねんげつ |
2012.6 |
ページすう |
317p |
おおきさ |
20cm |
かんしょめい |
さつま芋の恩恵 |
ISBN |
978-4-7942-1898-8 |
ぶんるい |
21076
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いっぱんけんめい |
太平洋戦争(1941〜1945)
日本-歴史-昭和時代(1945年以後)
|
本のしゅるい |
一般和書 |
ないようしょうかい |
高松宮邸で、南太平洋の島々で、人々は飢えを満たすためにさつまいもを育てる。時局収拾のための対ソ交渉は遅々として進まず…。フィリピン大使・村田省蔵、ビルマ大使・石射猪太郎の厳しい撤退戦までを描く。 |
タイトルコード |
1001210020478 |
ようし |
七月一日、高松宮は高輪邸のさつま芋畑で草取りに余念がない。柳田国男、詩人の岡本潤、多くの人が菜園でさつま芋をつくっている。南太平洋の島々に取り残された兵士たちの栄養源もさつま芋だ。沖縄の戦闘は終わった。六月末から七月初めにかけて熊本、呉、下関など地方都市への空襲が始まった。和平への工作は対ソ交渉頼みだが、遅々として進まない。トルーマンはなぜかソ連の対日参戦の正確な日にちを知りたがっている。木戸幸一は早くも戦後の保身のためか「一大貧乏籤」という言葉で自己合理化をはかろうとしている。フィリピン大使村田省蔵、ビルマ大使石射猪太郎の厳しい撤退戦までを描く。 |
もくじ |
7月1日 さつま芋の恩恵(七月一日、さつま芋畑で高松宮はなにを考えるのか 昨十九年七月七日に高松宮は木戸を面詰した 風見章「敗戦必至とは、今はすでに一人でも疑うものはない」 ほか) 7月1日 天皇、東郷茂徳、米ソの動き(紅葉山を登りながら天皇はなにを考えるのか 昨年六月、高木惣吉は「C.P.を戴く時」と書いた 四月、天皇は「責任をとって辞めない」と言った ほか) 7月2日 木戸「一大貧乏籤」の虚構(未明の空襲、罹災者二十四万人、焼死者三千二百人 「其の信念的意見が那辺にありや」と問う富田健治 木戸幸一と田中新一、この二人がいて ほか) |
ちょしゃじょうほう |
鳥居 民 1929(昭和4)年、東京に生まれ、横浜に育つ。日本および中国の近現代史研究家。横浜文学賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
ないよう細目表:
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